箱根峠に次ぐ鈴鹿峠越えは想像したほどではなかった

19日(17日目) 日 14度 曇り時々雨 亀山宿 関宿 坂之下宿 土山宿(近江国
                       30,1粁(433,4粁)
                       ビジネス旅館大安(8,400円)
 お茶を沸かし、昨日四日市で買った笹井屋のなが餅を朝飯代わりに食べたが侘しいものだ。7時10分、ホテルを出る。イオンの駐車場には1台の車も無く、昨夜の喧騒は何だったのかと考えながら亀山宿を目指す。昨日間違って渡った汲川原(くみかわら)橋を通って、旧東海道に出る。
 この付近は今日は日曜日とあって人っ子一人居ないような異様な雰囲気の道だった。間もなく収穫の終った田圃に沿った道を歩いていると、右手に井田川駅が見えたので、駅方面に向かう路ながら、途中で途切れてしまったので、路に迷った事を知り、引き返すと踏切があったので渡ると、JAの建物だけがコンンクリート造りで、外は木造の建物が散見される程度の鄙びた駅前だった。
 間もなく国道1号線の高架をくぐると亀山市に近付いた事を知る。和田一里塚の榎は数百年の風雪に耐え、見事な枝振りを見せていた。
亀山宿(昔はこの様に雪が降ったようだ) 

9時20分、江戸口門跡から亀山宿に入る。両側の家々の目に付く位置に木の表札が目に入る。
昔は旨いお供え餅屋か、馬の何かをする場所か全く判らない

 文久3年(1863)の古文書を基に、当時の屋号を現在の住宅に当て嵌めたもので、それが延々と2粁に亘って続き、往時の繁栄を物語っていた。
 シャープの亀山工場が液晶テレビでは「亀山ブランド」として、態々地名を付けてまで世界的に名を馳せているのも、亀山商人のDNAが脈々として受け継がれているのかもしれない。
野村一里塚は名古屋の笠寺一里塚と双璧をなす 

 城下町だけに曲がりくねった道を抜け、坂道を登ると野村一里塚が見えて来た。片側しか残っていないが、幹の太さや根の張り具合を見ると、まさに王者の風格が備わっている椋(むく)の巨木で、若し台風か何かで倒れた場合は、隣の家は間違いなく大きな損傷を受けることになるだろう。
 9時40分、漸く食堂が目に入った。「母屋」(おもや)の名が付いた和風造りで、玄関の上がり框に荷物を置いて部屋に入る。
 畳の上にテーブルがあって、年配のお婆ちゃんが一人コーヒーを飲んでいた。朝早いのでご飯料理はないとのこと、モーニングセットを注文する。隣の部屋を見ると、囲炉裏があって床の間には立派な置物や掛軸が掛けてあった。女将さんの許しを得て写真を撮らせてもらう。
 向いのお婆ちゃんが、「どちらからお出でですか」の問いに、
「北海道の者だが、3日日本橋を出て京都に向かう途中で、順調に行くと後3日程で着く予定です」
と伝えると、
「北海道ネー、随分遠いところからお出でですね、北海道は雪が降っているのでしょう」
「北海道は広いので一概には言えないが、根雪になるのは12月に入ってからです」
 とも角本州の人は、今頃の季節になると、決まって北海道と言うと、如何にも寒い土地で良く生きているくらいの表現をする。
 間もなく高速道路の高架下を通ると、広重の浮世絵が7枚描かれていたが、中々洒落た事をするものだ。踏切を渡り、緩やかな坂を登ると、関宿の説明版があった。
関宿(本陣の旅発ちの模様が良く描かれている)

今日は生憎の雨で観光客も少なかった 

 11時10分、大きな鳥居がある東の追分から関宿の町並みが見えてくる。霧雨が降って来たので傘を広げて歩くが、今日は日曜ながら、天気が悪いせいか、観光バスは1台きりで、観光客は資料館や土産物屋に、また食堂に入ったりして宿場の旅を楽しんでいた。
百五銀行関支店

 道幅は相変わらず狭いが、両側の家並みは今まで歩いて来た東海道の町並みの中では一番整備されて、信州妻籠辺りの宿場の様な面影を色濃く残していた。
 百五銀行の建物も宿場の雰囲気を壊さないように造られていた。この宿場の繁華街と言うか目立つ建物等は、500米程歩くと途絶え、その先は観光客は誰一人として歩いている姿は見られなかったのはいささか寂しかった。西の追分で1号線と合流する。
 この付近から鈴鹿峠の方向を見ると厚い雲に覆われていた。多分雨が降っていることだろうが、こちらも依然小雨が降っているが合羽に着替えるほどでもない。右側に、「名勝筆捨山」の標識が見える。由来は、筆を捨てるほど美しい山とか、この辺りは良く雨が降るので絵を画くのに手間取るとか、色々の説があるようだ。市ノ瀬一里塚から右に入り、暫く坂を登ると、「鈴鹿馬子唄会館」があった。
 12時半、会館のドアを開けると、男の人が事務所から出てきたので挨拶をすると館長と判った。訪問者は今日で二人目とか。序に、
東海道を往来する旅人は年間何人ほどですか」
「精々100人から200人まで居ないと思う。何故ならこの建物は道路を挟んで建てられているので、東海道を往来する人は貴方同様必ずこの会館に立ち寄るはずで、通しの人か区切りの人かを聞いている」
「私は北海道の者で、3日日本橋を発ってから今まで出会った旅人と思われる人は2〜3人ほどで、来る前には年間数千人歩いているものとばかり思っていた。四国八十八ヶ所を2回歩いたが、1度で回る遍路は年間千人から二千人と聞いているが、東海道の距離は四国の半分以下の500粁でその程度の人とは知らなかった」
東海道を旅する人の多くは、区切って歩く人が殆どで、団体で回るケースも多いので、延べ人数で言えば、年間数万人は歩いているのではないか。去年全国の馬子唄サミットをここで開催したが北海道からも来ていた」
と、早速、「鈴鹿馬子唄」を聴かせて貰ったが、哀調を帯びた歌声に、鈴の音色が何とも言えず、聴き惚れてしまった。「小諸馬子唄」「相馬馬子唄」等、どれを聴いても哀調を帯びた民謡だ。かっては人馬一体となって農作業に取り組んだ時代を懐かしむように、「鈴鹿馬子唄」は館内に響き渡った。
   坂は照る照る 鈴鹿は曇る   あいの土山 雨が降る
 館長の話によると、「鈴鹿馬子唄」は300年以上前から唄われていたらしく、「小室節」から「小諸馬子唄」を経て今に至っているとのことだが、「江差追分」に通ずる節回しが随所に聴かれた。
 一人旅を続けていると、他人と話す機会は数少ないので、館長の話には胸が打たれた。館長に坂之下宿に食堂があるかどうか聞いたところ、無いとのこと。館長は事務所に戻り、手に袋を提げて、これでも食べなさいと、出してくれたのは、稗(ひえ)か何かで作った「おこし」で、
「村の人が作ってくれたので、遠慮せず食べて下さい」
とお茶も注いで呉れたのを有り難く頂戴したが、昔食べたおこし同様硬かった。
 外は雨脚が激しくなってきたので、食べ残しの「おこし」も頂いて完全装備に傘を差し館長に送られて、1時10分、会館を出た。
坂之下宿(筆を捨てるほど綺麗な山でこの名が付いたが) 

 坂之下宿はかって本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒もあって繁栄を極めた時期もあったが、鉄道開通に伴い、取り残されて現在はその面影は無く、本陣跡の標柱があるのみだった。
 坂之下宿から15分ほど歩くと、鈴鹿峠への登りの階段を登る。久しぶりに土の上を歩く感触を味わったが、勾配は結構きつく息切れがしてきた。片山神社脇の石畳を登り、国道と交差する道を登ると峠が見えて来た。
今は峠の下をトンネルが通っている

 2時10分、覚悟した割には簡単に峠に立つことが出来た。簡単な標識を見ると、378米と意外に低かった。これから先は近江国滋賀県)に入るが、今登ってきた様な急な山道はなく、目の前には広大な茶畑が広がっていた。
 道路の脇には大きな石の万人講常夜灯があったが、下の国道開通の際この地に移設したらしい。依然として雨は降り続いていた。鈴鹿馬子唄に唄われているように、この峠は雨が降りやすいようだ。
 直ぐ1号線と合流し、緩やかな下り道を土山宿目指し雨の中を一人で歩いていると、気分的にも寂しい気持ちになってくる。高峰三枝子淡谷のり子が歌った、
 「雨は静かに降る 寂しい町外れ そぼ降る小雨に 濡れ行く我が胸・・・」
を歌いながら1号線を下る。
 途中茶畑が点在し、土山茶のブランドで売られているようだ。日曜のせいか車も少なく、飛沫を掛けられることもなかった。1時間半ほどで「道の駅あいの土山」に着いたのは3時40分だった。
土山宿(鈴鹿峠の影響か雨が多いようだ) 

 濡れた合羽を脱ぎ、無料サービスの土山茶をコップに注いで飲んだが、冷えた身体には堪らなく美味しかったので2杯目もコップに注ぐ。電話帳で探した今夜の宿「大安」に電話すると、夕食は出るとのこと。腹が減っているので軽めの山菜若布うどんを食べる。
 雨は小降りになったので濡れた合羽をリュックに入れて、傘を差して道の駅を出て間もなく土山宿に入る。道の両側の建物は関宿ほどではないが、良く整備されていた。
 横浜のT氏から電話が入ったので、先ほど鈴鹿峠を越えて土山にいるが22日には京都に着くと話すと、彼は想像した以上に早いのか驚いていた。
 町に入り宿を探したが見当たらなかったので通り掛かりの人に聞いて、玄関の戸を開けたが、そこは裏口だったのか、雑然として中は丸見えで余り感じの良い宿ではなかった。右へ曲がると玄関があった。
 4時35分、宿に着き、水気を取るため新聞を貰って靴の中に詰め込んでから部屋に入ったが、建物そのものが臭いのか、変な匂いが部屋にもこもっていた。合羽類をハンガーに吊るし、荷物の中身を全部取り出す。明日の宿を三雲町のホテル甲西に決める。
 かみそりを持って早速風呂に入ったが、肝心の鏡もシャンプーもなかったので、髭を剃るのをやめた。今日も貸切だ。
 食事の内容も予想した程度の内容で早々に済まし、昨日の分と合わせて二日分を書いたが、今日は雨に降られたのと、ホテルから庄野宿までの2粁を合わせると実質32粁は歩いたので流石疲れた。
 歯を磨くので洗面所に行ったが何となく薄汚れた感じには参った。明日の天気も小雨模様のようだ。