水口の300年来の旅籠は駐車場に変わっていた

20日(18日目) 月 15度 小雨 水口(みなくち)宿 三雲町 
                   18,5粁(451,9粁)
                   ホテル甲西(8,000円)
 宿を出る際、女将さんに料金を聞くと、8,400円とのこと、一瞬高いとは思ったが、今更値引く訳にも行かないので支払う。7時55分、小雨が降っているので合羽を着て宿を出る。
街道筋の紅がら格子の家 

 京都に近付くに従い、紅がら格子の建物が目に入る。旧東海道の道路には黄色のアスファルト舗装が施してあったので、どの様にしてこの色が出るのかと思いながら歩いていると、茶畑が道の両側に黒いネットを張るようにワイヤーが張られているのを見て、お婆ちゃんに、
「この黒いネットは何ですか」
玉露の茶を作るためには、この様にして霜除けや、日焼けを防ぐために手間暇が掛かる」
「お茶の木を植えて収穫するのに何年くらい掛かるのか」
「3年ほどで収穫できるが、最近は農薬を余り使わないので、堆肥を鋤き込んだりしている」
とに角周囲は茶畑が広がって、今まで見た小夜の中山や牧の原の茶所と甲乙が付け難い。
 間もなく松並木が見えてきた。左に野洲川が流れていた。大野市場一里塚でストップウォッチを押して、次の一里塚間の時間を計測すると、44分掛ったので、1粁当たり11分と少しペースは遅かった。
 野洲川に沿った道を歩くと冠木門が目に入る。10時、東見付跡でここから水口宿に入る。
水口宿(干瓢を干している女達)

今年ここで山車の全国大会が開かれた

 本陣跡から正面に道が三本に分かれるので、真ん中の道を進む。問屋場跡の休憩所での公衆電話で、京都の宿を数件電話したが何処も満杯状態で断られたので、前から穴場として聞いていた大津付近の宿を電話帳で探し、旅館植木屋を明日から三泊予約する。
 雨も上がったようなので合羽を脱いでリュックに入れ、休憩所を出るとカラクリ時計が正面にあった。この宿の目玉は山車で有名のようだ。昼時で食堂を探したが見当たらなかったので、止む無くパンを買い、どこで食べようかなと探して歩いていると、うどん屋の暖簾が目に入ったので入る。食堂はこの町には一軒しかないらしい。雨に降られた身体には熱々のうどんは何よりだった。
 水口石橋駅の踏切を渡り、道なりに曲がると、林口一里塚に出た。両側に刈り入れの終った田圃が続く、真っ直ぐで単調な田舎道をただ歩く。泉一里塚から太い道に出ると、轢かれたばかりの犬の死体が道の真ん中にあったのを、目にすると気分が優れない。一号線に出て横田橋を渡ると、12時40分、三雲駅に着いた。
 早く着き過ぎたので、駅員に隣の石部駅に旅館かホテルは無いかと聞いたところ、石部には無く、この辺りでは草津に有るだけです、とのこと。今更草津までは歩けないので、ホテルに電話すると、駅前の道を線路に沿って真っ直ぐ進むと、踏切がありその傍にホテルがあるとのこと。ホテル甲西には10分足らずで着いた。
 1時、チェックインの際、宿泊名簿に記入しているとマネジャーが、
江別市は北海道のどの辺ですか、札幌と函館に小樽はは知っているが」
との問いに逆に「どの辺と思うか」と聞くと、「うーん、全く判らない」
「札幌を中心にして西隣、つまり左側は小樽、その反対側、つまり東隣が江別市だ」
「札幌の隣ですか、北海道は広いから中々町は覚えられない」
「私も三雲の町の名は初めて聞いたが、この付近には大きな工場があるようで、三雲駅で電車が着くと大勢のサラリーマンの人達が降りて来た」
「うちのホテルはその人たちが良く泊まる」
 一先ず部屋で濡れた合羽等をハンガーに吊るし、ベッドの上に荷物を出してから、資料を調べていると、300年続いている、「旅籠桝又」に行ってないのに気が付いたので、再びロビーに下りてマネジャーに、
「京都の地図があるか」と聞くと、後で揃えて置くので、揃い次第電話するとのこと。
「水口宿に300年続いている、桝又旅館の話は前から聞いていたが、行くのを忘れてしまった。時間が早いのでこれから行くには、今更歩く訳には行かないので如何したらよいか」
 マネジャーは時刻表を見ながら、
「15時42分の電車が間に合うので、貴生(きぶ)川で近江鉄道に乗り換え、水口石橋駅で降りると水口宿は直ぐだ」
 礼を述べて部屋に戻り、雨の心配が無いので、ウインドブレーカーを着て、手にカメラを持って三雲駅に向かう。時間をどう過ごすかと心配していたのも、杞憂に過ぎなかった。
 三雲駅で電車に乗り、言われたとおり貴生川で乗り換えたが、待つほどのことも無く近江鉄道の電車が来たので、その電車の乗り水口石橋駅で下車すると雨が降っていた。先ほど通った踏切を渡り、宿場の中程まで探したが旅館桝又が見当たらず、軒先で雨宿りしている時、丁度通り掛った人に、旅籠桝又の場所を聞くと、目の前の駐車場を指差して、
「6年ほど前まではここに有ったが、その後、建物も傷んで来たので、市に買い上げて貰うよう頼んだらしいが、個別の物件に対して特例は難しく、結局この様に取り壊されて駐車場になってしまったが、取り壊されてから、初めて貴重なものを失った空しさを覚えた」
 その人に礼を述べてその駐車場を写真に撮る。態々来て何と言うことか。赤坂宿の大橋屋は今でも営業しているのにと思ったが、我々には判らない事情が有ったのだろう。それにしても何とか成らなかったのかと、東海道を旅する者にとっては惜しい話だ。
 無人駅の石橋駅の時刻表を見ると、次の電車までは40分ほど時間があるので、踏切手前の喫茶店に入り、店主にコーヒーを飲みながら先ほどの顛末を話すと、
「町全体もその費用を負担する余裕も無く、取り壊されてしまった」
と残念そうだった。その後の雑談で店主は元サラリーマンで、
「定年で送別会をして貰った際、島根から両親のいる水口まで歩いて帰る事を話すと、道中の費用にとカンパで30万円ほど集まったが、その後階段から落ちて足首を捻挫し、今更カンパを返す訳にも行かないので、松葉杖を突きながら何とか家に帰った」
との話を聞いたので私も、
「初めての四国八十八ヶ所歩き遍路の旅に出る際、身内から友人知己までを含め、76人の供養をすることで自らの退路を断って、途中からの挫折を食い止め無事結願した」
と似たような話をして2人で大いに盛り上がった。今年、水口でカラクリ山車全国大会があって賑わったと話していた。
 そこへ親子連れが来て、お焼を20個注文したので、店主もその仕事に取り掛かったので私も2個頼む。田舎だけにお焼も扱っているようだ。夜はバーになるようなカウンターがあった。
 雨は少し小降りになってきたが、外は真っ暗闇だった。時間が来たので2個のお焼きを手に駅に戻り、誰も居ないのでお焼を食べたが美味かった。
 ホテルに着いてマネジャーに、今は取り壊されて駐車場になった話しをすると、申し訳ないと盛んに謝っていた。
 部屋に戻り風呂を沸かし、三日振りで髭を剃り右足の痛みは未だ取れないので丹念に揉む。1階の食堂に入ると、マネジャーが京都周辺の地図を持って来てくれたが、まだ、水口の旅館のことを詫びていた。序に京都の旅館は満杯なので、大津の旅館を取ったことを話すと、それは正解と誉めてくれた。
 昨日はお粗末な料理だったので、天ぷら定食を食べたが、揚げたてで美味かったので、昨日の分も含めて栄養補給は十分摂った積りだ。
 明日は大津に泊り、明後日の午前中には愈々三条大橋に立つこと間違い無しだ。 今日は歩いた距離こそ少ないが、内容の豊富な一日だったような気がするのを日記に書き込む。