雨が束になって天から降ってきた

11日(17日目) 木 豪風雨曇り一時晴れ 25℃ 25,8km(473,0km) わかば万歳 
佐賀温泉―入野松原―大方町民宿わかば 6100円
 昨夜から降り出した雨は明け方物凄い風を伴って来たので、カーテンを開けて外を見ると、大きな木が風に揺れて悲鳴を上げているようにも聞こえる。時計を見ると5時を過ぎていたので今更眠る訳にも行かず、蒲団を出て荷物の整理をした後、昨日の日記を付ける。
 8時、一階の食堂でMY氏と二人で食事をしたが、雨は止んだようだが風は相変わらず吹いていた。ホテルを出る際、従業員に温泉に就いて、
「前のマネジャーの話によると源泉100%と聞いたが本当か」
「100%は間違いないが湯の温度が少し低いので加温しているが、泉質はある大学の先生によって太鼓判を押されている」
ある大学とは札幌国際大学の松田教授のことと思う。
8時半、風は未だ強かったが雨の心配もあるので完全装備でホテルを出た。間もなく急に雨が降り出してきた。幸い風は収まったが雨の量は今まで経験したことも無い物凄い雨で、バケツの水をひっくり返した様な雨とはこのようなことを言うのかと、右手は杖を、左手は菅笠を押さえて左側の歩道を歩いたが、追い越してくるトラックや車の物凄いしぶきを浴びて先が見えなくなるほどだった。道路の右側に流れている川の水も濁流となって下流に向けて流れている。車もワイパーをフル回転しても満足に先が見えないのではないかと思うほどの雨脚だった。その内右手が錘を吊っているように感じたので、ゴアテックスの右手首のバンドを緩めて下に向けると、水がドーと流れ落ちたのには驚いた。杖を持った腕がくの字になり、杖から伝わった雨水がくの字に曲がった腕に溜まった為だった。簡易郵便局が目に入ったので、昨日供養した家族宛の葉書を投函する。歩道の上には今降ったばかりの雨が川のように流れ去る様は見たことも想像したことも無かった。佐賀町に近付くにつれ雨脚が少し衰えてきた。彼もこのような雨にあったことは無いと話していた。
間もなく信号が見えたので、彼に、前のマネジャーに佐賀町の郵便局の場所を聞いた際、
「この道の一番初めの信号を右に行くと郵便局がある」
 しかしこの一本道を行けども行けどもその信号が無く、マネジャーの教え方も悪いが、我々も地図で確かめなかったのも悪かった事を話した。今日佐賀温泉からその信号まで1時間10分掛かった。
町には入らず国道を直進することにした。佐賀町は鰹の産地として名高く港内には多くの漁船が雨の為か停泊していた。漸く雨も上がったので港内を一望出来るトンネル手前の遍路休憩所で、雨に濡れたリュックを開けて白衣を取り出し着替えた後、合羽をたたんで中に仕舞った。
 トンネルを抜けるとこの海岸線は景勝地「鹿島が浦」で、道の左側は観光施設も整って手入れもされて見応えのある場所だった。また雨が降り出してきたので、急いで合羽を取り出して着替え再び先を急ぐ。
雨上がりの海岸

海岸線に沿って国道が通じているが人家は少ないので食堂を探すが中々見付からない。その内雨も完全に上がり陽も差してきた。
 12時半、漸く有井川駅傍の食堂を見つけ一息をついだ。炒飯を注文した後、早速荷物を降ろして白衣を取り出す。靴を脱いで裸足になって足を乾かす。徳島で買った靴は編み上げのところから水が入るので、靴は完全にずぶ濡れの状態で自然乾燥に任せるしかない。その内中年の夫婦が食堂に入ってきて、我々の姿を見て、
「今日の雨の中を歩いたのですか、我々も車を運転しながら前を見るのがやっとの状態だった」
「台風は別だがそれ以外は歩くのが遍路です」
 夫婦には今日の雨の中を歩いたことが想像出来なかったらしい。我々自体も今振り返ってみると良く歩いたものだと我ながら感心した。夫婦も間もなく出て行ったので、これから先は10キロ程なので時間調整を兼ねてゆっくり寛ぎ、食堂を出たのは2時10分だった。
 間もなく泡立つ海岸に出て、今日は26度まで上昇すると聞いていたが、雨上がりのこともあって蒸し暑さも加わったので、何かを飲もうと町に入る手前の雑貨屋で自販機にお金を入れたが反応しないので、店の奥へ声を掛けると中年のおばさんが見えたのでアクエリアスを買った際、
「今日の雨の中を歩いて来たの?生まれて初めての物凄い雨に降られて驚いた。南海地震も来ると言われているので、お大師に祈ってください」
この付近の住民は何より地震津波を恐れている気持ちが痛いほど判った。
松も世代交代して細いのが目立った

景勝地入野松原を通るため海沿いの道を歩くと、海岸線に広がる松原が見えて来た。元々は風を防ぐ為に松が植えられていたが、近年松食い虫の害で大きな被害が発生し、再生の為新たに植えられた今の松は太さも10センチほどの太さで、所々に古来の松が見受けられる程度だった。松原を出て踏切を渡ると国道に出た。宿に向かう途中彼と別れて100円ショップに入り、カットバンを105円で買ったが、牟岐町の薬局で買った500円近いバンは高かった。民宿わかばに着いたのは4時20分だった。
女将さんは40歳前後か、中々の働き者に思われた。二階の風呂を使うよう言われたが、間違って一階の風呂に入ると湯船に湯が無いので、彼が新しい湯を使わせようと気を利かせて湯を抜いたものと思い、栓をして熱い湯を入れ掛けると女将さんが見えて、二階の風呂を使うよう言われて、改めて二階の風呂場に入ると湯船には満タンに湯が入っていた。午前中の雨に濡れた靴で歩いたせいか、右足の指先に新しいマメが出来ているのを見つける。身体を湯に浸し、髭を剃り身体を洗ってから、再び湯船に漬かる。今夜も彼と二人だけの一夜だった。
料理も女将さんの心のこもった盛り合わせに感激して、女将さんにお礼を言うと、
「遠慮せず召し上がって下さい、お代わりもどうぞ」
 彼も今夜の料理には感銘を受けたようだ。
 部屋の戻り、級友のKT、KK君に電話を入れ、順調に歩いていることを伝え、甥のKSにはメールで現状を送る。部屋の中は暑いので上半身裸で昨日の日記の残りと今日の分を書く。テレビでパレスチナアラファト議長が死去したことを伝えていたのを見て、一時代を築いた人物がまた一人舞台を去って行った。明晩の民宿旅路を予約する。明日は愈々足摺岬が望めるところまで行く。