「東海道野次喜多」ならぬ一人旅の道中記の始まりはじまり

旧東海道のルートと宿場
東海道五十三次」とは、起点の東京日本橋と終点の京都三条大橋間の、品川から大津までの53ヶ所の宿場を指し、昔は伊勢湾に注ぐ木曽川揖斐川長良川の三大河川は渡らず、宮から桑名間は舟で渡った。


沼津市千本松原越しに、東海道のシンボル「富士山」を望む(中腹に安永火口が見える)

 
東海道五十三次道中記
初めに
 平成16年秋、二度目の「四国八十八ヶ所歩き遍路」の旅から戻り、旅日記のインプットを終え、平成17年10月25日から12月1日37日間の記録を、季節感を伴うため一年遅れでブログによって送信し、一息付いたところで、来年は何処へ、と気もそぞろな日々を送る。
 その内、平成12年、春の「四国」を歩いた際、半月ほど共に遍路の旅をした、磐田市S氏が、良く旧東海道の街道巡りの話をした事を思い出し、インターネットで早速資料を取り出して調べる。
 その中で問題点としては箱根峠の登りが最大の難関と判った。その外、注意することとして、新旧東海道に限らず殆どがアスファルトの道路と車の多さだった。
 宿泊は四国と違い、街中を通るのでビジネスホテルを中心に考え、宿場では民宿に泊ることで何とか成りそうだ。
 二度目の四国では、靴底を張替えたばかりに直ぐ剥れて酷い目にあったので、今回はミズノのウォーキング・シューズを買い、事前に約200粁ほど履き慣らして、東海道五十三次500粁の旅に挑むことに成った。
 改めて携帯電話のメールの出し方を次女に教わる。
 NHK「東海道てくてくの旅」で、清水エスパルスの岩本選手の歩いた番組も非常に参考になった。
 4月以降、例年通り毎日の様にウォーキングで足腰を鍛え、準備万端整えて、京都三条大橋に着く日を紅葉真っ盛りの11月24日前後と想定して、そこから逆算し、11月2日新千歳を飛び立ち、さいたま市の娘宅に一泊し、3日9時、東京日本橋から京都を目指すことにした。
 平成18年11月2日、6kgの荷物を背に我が家を出て、12時20分、新千歳空港を飛び立ち、機上から間もなく真下に苫小牧や右前方に室蘭から羊蹄山を、前方に駒ケ岳を経て恵山の方まで見渡せる眺望を満喫しながら羽田に向かったが、猪苗代湖付近から段々雲が出て来て、東京は生憎の曇り空だった。
 東京駅に着いて、暫く振りに八重洲にある、「ブリッヂストン美術館」を訪れたが、再会を期待していた青木繁や坂本繁次郎等の絵画は、久留米美術館に移ったとのこと。丁度、ニュージーランドアボリジニの特別展が開かれていた。
 ここから5分ほどの所に、昭和37年から約2年間東京営業所に勤務した際、事務所として借りていた兜町3丁目の千代田会館が有るかどうか訪ねたところ、周囲の高い近代的なビルに囲まれて、4階建てのビルが未だ現存していたのには驚いた。1階は居酒屋になっていた外は2階の片側だけ入居していた。4階の事務所は当時の状態でドアも替わっていなかった。懐かしいので早速建物をカメラに収める。
 夕方5時過ぎJR北浦和駅で下車、久しぶりに長女と婿と二人の孫に会う。