いよいよ遍路の旅のスタート、霊山寺でお礼参りに来る事を誓う

25日(1日目) 月 快晴 20℃ 21,7km(21,7km) 皇太子を見送る
二番極楽寺―一番霊山寺(りょうぜんじ)―二番極楽寺―一番霊山寺―三番金泉寺(こんせんじ)―四番大日寺―五番地蔵寺―六番安楽寺―土成町七番十楽寺宿坊 6800円
 6時から冷え冷えとした本堂でストーブを囲んで朝の勤行があり、名物住職(不登校等の問題児に歩き遍路を経験させることによって更生を図ることで有名)のユーモアを交えた説話を聞き終えてから、朝食後隣席のIT氏に、順打ちに切り替えたので不要になった東京KK氏の逆遍路の旅日記を贈ると、さっと目を通して、これは貴重な日記、次回の参考にと喜んで受け取ってくれた。今日も昨日同様暑くなりそうなので肌着の半袖シャツの上に白衣を着て回ることにした。北海道とは随分違うものだ。
 7時26分、朝日に映える山門を出て一番霊山寺からスタートする積りで霊山寺に向かう途中、多くの私服を交えての警官が道の両側にそれとなく佇んでいるのを見て、警官に、「今日は何かあるのですか」と聞いたところ「皇太子がドイツ館を見学する」とのこと。ドイツ館は第一次世界大戦で捕虜になったドイツ兵を収容した場所で、日本で初めてベートーベンの第九交響曲(多分第四楽章の合唱の部分と思われる)が演奏されたとも言われているのがドイツ館周辺です。
一番札所霊山寺山門 

8時、霊山寺の山門前で一礼して境内に入ると右手の池の鯉が歓迎してくれるのかと思うほど集まって来た。本堂で今日月命日の元会社上司故DR氏の供養をした後、大師堂ではこの先の旅の安全をお大師様に祈願を済ませると、IT氏がお礼参りに来ていたのに出会い、カメラに収めて帰り次第送ることを約し、納札に住所氏名を書いてもらう。山門を背景に遍路姿の写真を近所のおばちゃんに撮って貰う。8時二番極楽寺に向かう途中警官の姿が相変わらず目に入る。私服の警官に、「大変ですね、徳島から来ているのですか」と聞いたところ、「大阪府警の者です」には驚いた。
 二番札所の極楽寺で読経を済ませて納経帖を提示したところで、霊山寺で納経帖に記帳を忘れたことに気が付き、慌てて霊山寺に向けて日差しが強くなってきた道を戻る。途中で菅笠を被らない歩き遍路の人に出会い、目が会ったので軽く会釈する。8時51分霊山寺本堂内の納経所に靴を脱いで入り、納経帖に記帳して貰う時、逆打ちは止めたので遍路ノートの逆の字を消してもらうようお願いして、
「昨日話したように12月初めには必ず戻ってくるから」
「菅笠を被ると随分変わって見える」と笑って送り出してくれたが、初めから納経帖に記載して貰わないようなチョンボをするようでは先が案じられると心に思いながら先を急ぐ。
 9時10分、二番極楽寺で改めて納経帖に記帳してもらい境内に有った長命杉をカメラに収めて、国道を避けた墓場を横切る遍路道を教えて貰い、三番金泉寺に向かう途中に郵便局が有ったので葉書を買ったところ、日の丸の小旗を渡されて道路に出ると、小旗を持った多くの老若男女が道の片側に整列していたので、多分皇太子を迎えに出ていると思い、尋ねるとまさにその通りで、私服警官の指示で待っているところだった。長老格と思われる爺さんが、私の遍路姿を見て、皇太子が一番先に目に付きやすいので先頭に立つよう促された。
日の丸を手に老若男女皇太子を迎える

最前列に旗をもって立たされる羽目になった。その間一般車両を通行止めで、間もなく車のドアに数字の5が書いてあるのが通り掛かり、警官が、
「後5分で皇太子の車が見える」とのこと、上手く考えたものだと思っているうち数字の3が見えたので、小旗を持った人たちも緊張しているのが判る。待つ程もなくオートバイに先導されて、皇太子が車の窓を開けて何時もの様に手を振っているのが見えたので、小旗を小脇に抱えカメラを構えてシャッターを押したものの、タイミングが遅れて車の後部とパトカーが写っているだけだった。ただ言える事は皇太子は間違いなく我が遍路姿に興味を示されたことが、レンズを通して見ることが出来た。後で皇太子に聞けるものなら聞いてみたいものだ。
皇太子と初めて出会ったのは平成14年5月、「奥の細道」車行脚の旅の途中、那須の国道で見て以来の事だが、その時も私服の警官が随所に警戒に当たっていた。皇族は我々庶民とは異なり、何処へ行くにも警官が警戒する中を車で出かけることを思うと、好き勝手な旅を楽しめ、自由の尊さを味わえる我々の方が生まれて良かったと思ったひと時だった。
 10時28分、三番金泉寺は逆打ちの場合ここから右折して大坂峠越えの八十八番大窪寺に向かう道路に出るので、後でお礼参りの参考までに道路状況を聞いたが、木で鼻をくくったような返事しか返ってこなかった。この程度の寺の坊さんは、口では上手そうな事を言うが、中身は全く独善的で鼻持ちならないのが多い。
四番大日寺に向かう道で、重そうな荷物を背負った歩き遍路に出会ったので事情を聞くと、
「初めての遍路とあって必要以上に荷物を持ち過ぎたので参った」
汗をかきかき話してくれた。前回とはすっかり変わってしまった道を二人で遍路に関する話をしながら、高速道路の下を抜けて二股道の標識が左を指していたので先を進むと、突如犬が吠え出したので身構えると、農家の奥さんが出てきて、「この道ではなく右側の道が正解です」と教えてくれたので戻って標識を見直すと、明らかに爪で剥がした後、逆方向に悪戯したものだったので、後続の事も考えてマジックで矢印を直しておいたが、これも考え物だ。
 四番大日寺は軽い上り坂で前回は寺を改築中だったが、今は完全に出来上がっていた。荷物を下ろして読経の後、彼と別れて五番地蔵寺に向かう。道は下り坂でこの辺りの景色は4年前と殆ど変わっていなかった。
 五百羅漢を安置している寺を横目で見ながら、進む先にイチョウの木が目に入って来た。五番地蔵寺は樹齢700年と言われるイチョウの大木で有名な寺で、級友のKA君の先祖はこの地で農業を営んでいたようだが、北海道の土とは較べようも無いほどの痩せた土で苦労の程が察しられた。読経と納経帖に記帳を終えて杖を持った途端、杖を間違えたことに気が付いて、山門を出て公衆電話で地蔵寺を呼び出したが全く通じないので、まだ携帯電話の使い方に自信が無いので、丁度露店の駄菓子屋の主人に事情を話して彼の携帯電話を借りて地蔵寺を呼び出してもらい、
「先ほど杖を間違って持って来たので調べて欲しい」
「20分後に再度電話して欲しい」と言われて、山門に入ったところに先ほどの重たい荷物を背負った遍路が見えて、杖を手に、
「間違って持ってきて済まなかった」
「若し貴方が戻らなかったら地蔵寺の返事次第では戻る積りで居た」
「同じ場所に杖があったので自分の杖と間違えて申し訳ない」
としきりに謝っていた。早速地蔵寺にそのことを話して了承して貰った。それにしても心臓に悪い出来事だった。世話になった駄菓子屋から袋菓子を一つ買った後、二人で国道に向けて話をしながら歩き、昼も過ぎていたので食堂を見つけ、天ぷらうどんを注文して、靴下を脱いで前回の旅で覚えた裸足になって空気に触れさせた。改めて名刺を差し出し、彼からの納め札で神奈川県のTM氏と判った。今夜の宿も同じ十楽寺と判り、店を出た後夫々の身の上話をしたが、彼は鉄鋼関係の仕事らしく、
「今年6月定年となり、再就職も決まっているが未だ日も有るので、今まで家にゴロゴロしていたが、余り能がないので遍路に出て来た。下の息子はフリーターで将来のことに就いては気にしていないので困ったものだ。先ほど家内に電話したところ生き生きした声で如何なっているのか」
と浮かない声で喋っていたので、
「それは今まで家でゴロゴロされて鼻に付いたので、願ってもない時間を息子と二人で満喫している筈だ」
 と話して二人で大笑い。
 六番安楽寺では、前回ここで九番法輪寺は翌日に回して、八番熊谷寺から十番切端寺に行く方が効率良いと言われて、タクシーの運転手に道を尋ねた結果、アップダウンのきつい道を遠回りして左膝に痛みが出て酷い目にあったこと等を彼に話しながら、七番十楽寺に着いたのは未だ明るい4時だった。
竜宮城のような山門を夫々のカメラで写しあってから、読経と納経を済ませて宿坊に入ったが、彼とは相部屋だった。洗濯は彼と二人で利用することにして乾燥機の分を含めて150円で済んだ。風呂は立派なものでゆっくりと湯につかって初日の疲れを癒す。初日の今日は20キロ強に抑えたので、前回のような鉛のような疲れはなかった。食事は普通の品数で特に美味い物もなかった。前回マイカーの夫婦に、左膝が痛むので藤井寺から遍路ころがしの焼山寺まで荷物を運んで貰った話などしながら食後のひと時を過ごす。部屋に戻り仕切りのふすまを開けると体育会系のごつい男が一人蒲団に寝そべっていた。日記を付けている時、雨脚の音が聞こえてきたので戸を開けると雨が降っていた。明日は雨か。TM氏は荷物の整理に熱中していたが、不要の品は早く宅急便で送るようアドバイスした。今日は初めから納経帖の記帳を忘れたり、杖を間違えられたり、皇太子に会う等色々な事件があった一日だったので、日記を付けるのに2時間程を要して蒲団にもぐりこんだのは11時近かった。明日は何が起きるか。