針金を巻いて43キロ歩いた靴を捨てる際心の中で針金に感謝した

28日(4日目) 木 快晴 20℃ 25,0km(89,5)km 初のお接待を受ける
植村旅館―十三番大日寺―十四番常楽寺―十五番国分寺―十六番観音寺―十七番井戸寺徳島市BH大崎 7600円
 靴のことが気に掛っていたのか2時頃目が覚めて寝付かれず、何となくまどろんだ状態で夜を明かす。朝食後昨夜の三人目の「菅笠氏」は名刺のお返しに貰った納め札で香川県のMK氏と判った。宿を出る前、台風23号の影響で右岸は通ることが出来ないので、前回橋を渡って左折した先の民家で、お婆ちゃんに千円のお接待を受けたが金額が大きいので固辞して、代わりにミカンを頂戴して食べながら、お婆ちゃんが数年前北海道に観光旅行の際、素晴らしい景色と余りの広さと人情に触れて北海道フアンになり、「北海道万歳」の声援を受けたので、そのお婆ちゃんの家を探したが見当たらなかったので宿に戻ったが、一目会いたかった。元気で居れば良いが。
 女将さんは何処からか針金を探してくれたので、細かったがぐるぐる巻きにして、お礼を述べた後、7時10分、先ず12キロ先の大日寺に向けて三人で川筋に沿った左側の舗装道路を下った。1キロも歩かないうちに右足の靴の細い針金が切れたので、急遽柳水庵から貰った針金に巻き替えて暫く歩いたが、それも束の間、直ぐ外れるので止む無く靴底を剥がして、幸い中底が2ミリほどあるので、右足を道路の白線の上を歩くことで少しでも摩擦を少なくすることを考えて歩く。「窮すれば通ず」とはこの事か。途中右手に橋脚のみ残っているのが見えたが、橋の部分は多分台風23号で流されたものと思う。左足は何とか爪先部分は繋がっているので先ずは一安心だ。道は坦々としてただ鮎喰川に沿って徳島に向っているが、広野で橋を渡って今度は左側に川の流れを見ながら歩く。何時の間にかMY氏のペースが落ちてきたのは、多分爪の痛みのせいと思うが、MK氏も少し後れて付いて来た。前回泊ったプチマンションやすらぎの前を通り、四十九日を終えて主人の遺骨をペンダントに入れて供養の旅を続けていた女性を思い出し、今頃如何しているか思いを巡らす、人生も色々あるものだ。
9時42分、大日寺に着いたので後ろを振り返ると100米以上後に彼らが見えたので、杖を振って着いたことを知らせる。山門が無いので納経の際聞いたところ、来年造る予定らしい。境内では葬式が有るようで、喪服を着た人達が集まっていた。今日月命日の故KT(長女の嫁ぎ先のお婆ちゃん)の供養を済ませた後、二人の写真を撮る。
三人で寺を出て間もなく橋を渡り、常楽寺に向かう道筋の風景は前回通った際は春先だったので、畑に生えているのは麦の穂と思っていたが、麦にしては少し違うようなのでMK氏に、
「前から疑問に思っていたが畑に生えている麦は今から穂を出すのか」
と聞いたところ、
「麦ではなく刈り取った後から出た稲の穂で、何れ掘り起こされて堆肥代わりにする」
「北海道では枯れた状態で冬を越すので、今頃穂が出る等考えられない」
 今更ながら南国四国を目で再確認することになった。
波打つ岩盤の上に建つ常楽寺

常楽寺は本堂も大師堂も波打つ岩盤の上に立っている珍しいお寺で、バスツアーの遍路が大勢来て写真を撮りあっていた。庫裏に鉢植えの菊の花があったのでカメラに収める。
 国分寺と観音寺も歩いて直ぐの所にあった。丁度昼時だったのでMK氏は境内で食べる為(何時仕入れたのか)、MY氏と二人で井戸寺に向かう。国府町で食堂を探したが中々見当たらず、聞いてもこの辺では食堂が無いとのことで、空きっ腹を抱えながら漸く中華食堂を見つけた。小上りに荷物を置いて一息付いた。チャーハンは思ったより味がよく美味かった。40分ほど時間を潰した後、井戸寺に向かう。
 2時10分、井戸寺はお大師様が掘ったと言われている井戸水が、今でも湧き出ているのを飲んで100円を賽銭箱に入れた。納経を終えると東北から来ていた遍路夫婦が居たので聞くところによると、
「主人が定年となり二人で歩いているが、焼山寺の遍路ころがしはきついので逆から回る」
 と話していたが、歩くとしたら何処から回るのか。
門を出て真っ直ぐの道を行くと踏切があり、渡ると192号線が見えた。幹線道路で車の流れは多く、何時の間にかMY氏の姿は見えなくなった。上鮎喰(かみあくい)橋を渡り一路徳島駅方面を目指し、両側に目を凝らしながら、靴屋かスーパーを探すが中々見当たらなかった。途中通行人に、
「何処かにスーパーか靴屋は無いか」
「佐古付近にキョーエーが有る」
と聞いたので、佐古交差点を左に曲がると、小学生が居たのでスーパーの場所を聞くと、連れて行ってくれるとのこと。学校の話など聞きながら二人で歩いていると、向こうから女の子が出て来るのを見て、
「あいつ好きでないんだよな、ペチャペチャうるさくて」
と一人前な口を利いていたが、その女の子が、
「お遍路さん何処行くの」
「キョーエースーパーだ」のやり取りの後、何と二人で手を繋ぐと何処かに行ってしまった。天真爛漫というか、無邪気を言うか、昨今の子供心の一端を思い知った次第。スーパーは直ぐそこにあった。
 玄関を入ると右手にテーブルがあってそこには大勢の人が、多分各自が夫々買った菓子や果物を食べたり、飲み物を飲んだりしていたのには驚いた。郷に入りては郷に従えと、腹も空いてきたので駄菓子とお茶を買い、疲れた身体を椅子の背にもたせて口に運ぶ。食べ終わって三階の靴売り場で早速靴を探したが、運動靴の種類は少なく、やっとスポルディングで一番大きな26センチのサイズが有ったので、履いてみると爪先が少し当たる感じだったが、底がしっかりしているので、慣れたら何とか成ると思って買ったが三千円とは安かった。底が剥れてから43キロ歩いた針金の跡も生々しい、今まで履いていた靴は店員に頼んで捨てて貰った。序に白衣のポケットが頭陀袋で擦れて破れかけたので、手頃な布が無いかと探すと、上から貼る布切れが寸法的に合ったので買ったが、貼り方に手間取っているのを見兼ねた買い物に来ていた奥さんが、手伝ってくれて上手く貼ってくれた。奥さんが、
「これからどちらに行かれるんですか」
「八十八番大窪寺まで歩きます」
「頑張ってください」と財布から300円のお接待を出してくれたのを見て、傍に居た店員も同じく300円のお接待には感謝感謝。二人に、
「このお金は後ほど四国に役立つように使わせて貰います」
と伝えたら喜んでくれた。今回の旅で初めてのお金によるお接待だった。外に出て直ぐ乳母車を引いたお婆ちゃんからも100円のお接待、今日はどうなっているのだろう。合計700円のお金は別袋に入れて使わないことにした。
 今夜の宿は未だ決めてないので徳島駅周辺のビジネスホテルを探すと、三階建てのBH大崎が目に付いたので早速交渉の結果、2食7100円で合意。マネジャーは185センチほどの長身で見上げるような大男だったが、奥さんと思われる人は150センチほどの小柄な女性だった。部屋に入り時計を見ると4時45分を指していた。荷物を広げると、1枚の靴底が出てきたので、持って帰ろうかとも思ったが未練がましいのでゴミ箱に捨てた。風呂に入っている間洗濯機を回す。6時、食事で一階に降りたが、今のところ一人だけの食事だった。ビールを呑みながら8品の豊富で民宿とは違った豪華な?料理を満喫した。MY、MK氏の二人は何処に泊ったことやら。机に向かって、今日供養した故KTさんが生前住んでいた札幌のM宅に供養した旨の葉書を書く。昨日書き残した分と今日一日の日記を書いたが、今日も初めてのお接待を受けたり色々なことが起きた一日だった。昨夜の寝不足もあって9時半蒲団にもぐりこんだ。