農業普及員と勘ぐられたり、屋台のミカン売りは傑作だった

29日(5日目) 金 小雨後曇り 22℃ 24,3km(113,8km) 足にマメ出来た
BH大崎―十八番恩山寺―十九番立江寺勝浦町民宿金子や 6300円
 5時半起床、今日は一時雨が降る予想なので、雨具を上にして荷物をまとめる。朝食は昨日同様品数が豊富で、鯵の焼き魚は残してしまった。テーブルセットが三人分あったので、夜遅く客が泊った模様。7時25分、昨日買った靴は少しきつめだったので不安な気持ちを持ちながら、ホテルを出る際、マネジャーに438号線に出る道順を聞いたら、「教えて上げる」と一緒に外に出て並んで歩くと随分背が高いので、「身長は」と聞くと「188センチ」には驚いた。道を教えて貰いそこで別れたが、間もなく雨がポツリと降って来たので、ビルの玄関口を借りて半袖シャツを残して白衣を脱ぎ、一先ず上だけゴアテックスに着替える。とにかく濡れる前に着替えることが、登山同様長丁場の旅にも欠かせない。通勤のサラリーマンや学生たちが道の両側を歩く姿が目に入った。
 小松島市に向けて歩く途中に瀬戸内寂聴の実家である「瀬戸内仏具店」を写した場所の筋向いに「ミサワホーム」があり、前回雨に濡れながら親切に道を教えてくれた女子社員のことが記憶に甦った。雨の心配もなくなったので上を白衣に着替えた。バス停のお婆ちゃんに、キョーエースーパーの場所を聞くと、1丁ほど過ぎたので戻ってスーパーを左折して間もなく国道55号線に出た。
この道路は6車線の広い道で、進行方向に小松島市や逆方向に徳島市に向かう車がひしめき合って通っていた。前回は土砂降りの中、車の飛沫を浴びながら歩いたことを思い出したが、今日はその心配が無いだけ安心だ。昨日買った靴の爪先に軽い痛みが出てきたので、インナーソックスを脱いで厚めの靴下だけにした。単調な歩行を計測すると毎分125歩と、8kgの荷物を背負っている割には時速6キロ、1キロ10分ペースは先ず先ずだ。
浦川橋を渡ると小松島市だ。牟岐線の踏切を渡ると農作業の老人が、丹念に稲の切りわらを田圃に敷いているのを見て、
「今出ている穂は如何するのか」
「春になったら一緒に土に鋤き込み堆肥代わりにする」
「北海道では堆肥を作って鋤き込むが、こちらでは堆肥は如何しているか」
「堆肥は使ったことが無い」
との返事が返ってきた。物好きにもここの土を杖で突いて老人に、
「固いね」と言ったところ「貴方は農業普及員ですか」と疑いの目で見られたのには参った。何事も程々が大切と悟った次第。
徳島周辺の土は杖を突いても固くて跳ね返ってくる状態が殆どで、堆肥を使わない結果がそのような土壌に成ってしまったようだ。我が家の猫の額のような畑の土は、20年近く堆肥を鋤き込んでいるので、スコップで掘るとパラパラと直ぐ崩れてしまうのを見ているので、つい他所の土を見るのが習性になってしまったようだ。我ながら困ったものだ。
国道55線は南下して室戸岬まで通じる幹線道路だが、混み合うのは精々小松島辺りまでで、それを過ぎると殆どが二車線の道路となる。前方に見たような菅笠が視界に入ったので、MK氏と判り少しペースを上げて追い付いて、
「昨日ビジネスホテルに泊ったが、2食で7100円だった」
「泊った民宿は2食と洗濯付きで4500円だ」
「溜まる人と溜まらない人との差だな」
と大笑いしながら間もなく恩山寺の下に着いた。民宿ちばの前を通り遍路道を登って恩山寺に着いたのは10時15分だった。
故KG(次兄)故OM(札幌味噌ラーメンの元祖昭和32年来のお得意)故SS(友人の弟)故AT(元取引先の先輩)の供養と納経の後、爪先の状態を見るため裸足になって見た結果、今のところ右足人差し指の先と足の裏が少し赤い程度だったので暫く空気に曝した。MK氏は先に山を下って行った。
11時、遍路道を下る途中で、MK氏と話しているMY氏と出会ったので足の状態を聞くと、「足は何とかなるので今夜は立江寺に泊る」と言いながら疲れた感じで登って行った。MK氏と暫く共に歩いていたが、「お互いストレスになるのでお先にどうぞ」とのこと。多分先ほどの毎分125歩のペースで歩いていたので、彼も疲れたものと思う。
立江寺に行く途中のお京塚(不義密通殺人の罪で逃亡中、立江寺の鉦にお京の髪の毛が巻きついて天罰が下った)に手を合わせて間もなく、川に掛った赤い欄干が目に入ると直ぐ先の立江寺に着いたのは12時丁度だった。
お大師像に手を合わせる

程なくMK氏が着いた。納経の後、彼はここで握り飯を食べるので、橋を渡って左折したところに喫茶店があると聞いたのでそこに荷を降ろす。カレーライスを注文して食べているところに、入り口付近に居た遍路の女性が来て、納め札を見ると夕張の人で、お互いの奇遇に驚きながら、
「今夜金子やに泊るので、ご一緒出来ませんか」
「私は足が早いので付いて来れないと思うので無理でしょう」
「明日金子やで息子と合流して鶴林寺に行くことになっている」
と話していた。彼女も諦めて1時に店を出て行った。足の指先と裏が痛むので靴を脱いで見るとマメが出来ていたので一先ず絆創膏を貼る。彼女に20分遅れて店を出た。
途中の小さなスーパーでこちらに来て初めて、ミレーのビスケットが有ったので2袋買う。前回は何処にでもあったような気がする位、良く食べたものだ。両側畑の一本道を進むと、
錫杖を手に風のように去った修験僧

向こうから逆打ちの白ずくめで、赤い錫杖を手にした修験者風の人が見えて来たので、挨拶した際、逆打ちの心得を聞いたところ、
「順打ちを3回から4回を経験すると、風景が目に浮かぶようになり、迷うことも少なくなるので、その後逆打ちをすべきで、特に今年のように台風23号で山道も寸断されていると、一度位で逆打ちする等はもっての外、平等寺周辺では山崩れがあったが、目下修復中で間もなく通れる筈」
頭から冷水を浴びせられたようだった。記念に写真を撮ることを許してもらった。
彼に習って杖を手に歩いてみると、腕の振りが良かったのでそのまま手に持って歩いた。
この先の信号のある三叉路を左折して暫く歩くとローソンがあったので、「伊右衛門」を買う。川筋に沿って進むと、生比奈(いくひな)の町に入る。
倉庫のような店の前で人だかりがするので近付くと、台にミカンを山盛りに広げて売っていた無愛想な感じの男に、
「このミカン美味いか」
「不味いのは売ってない、食ってみろ」
と一個呉れたので口に入れると、ミカン特有の甘さが口一杯に広がってきたので思わず、
「美味い」と言ってから、「幾らだ」と言うと「要らん」と更に三個を手に乗せて、「お接待だ」と。面白いもので、店の前の人だかりは観光客で、「美味い」の一言に釣られて我も我もとビニール袋にミカンを詰め出したのを見て、ミカン男に小声で、
「商売繁盛だな」と言うと、どうだと言わんばかりのジェスチュアーで、「気を付けてな」と手を振って送り出して呉れたが、4個のお接待ミカンで、まさに海老で鯛を釣るとはこのようなことを指すのかと、改めて商売の面白さを教えて貰ったような気がしたが、これも旅の出来事の一つか。
 間もなく洒落た感じの和菓子屋があったので、餡物を2個買う。
鶴林寺に向かう交差点を左折すると、小学生が三人寄って来たので、
「金子やは何処だ」と聞くと、度の強いメガネをしたのが、「僕の家の近くだから案内する」と杖に手を掛けて先頭に立って歩き出す。間もなく鉄筋三階建ての民宿が「金子や」で、着いたのは3時25分だった。先客は焼山寺で一緒になった「メガネ氏」だった。間もなく夕張の女性に続いてMK氏も到着した。風呂に入って足の裏を揉んで血行を良くするが、既にマメが右足に2個出来ていた。浴衣に着替えて大広間に入ると、一人一人がテーブルに座るようになっているので、これでは話も出来ないとテーブルをくっ付けて、差し向かいに成りながら今日一日の出来事などを話しこむ。この民宿は老夫婦が経営しているが、今旅行に出ているとかで、息子が助っ人で世話している模様なので、食事の内容は今一つ冴えなかった。先客は鹿児島県のHN氏で、彼の話によると、リストラにあって家に居ても何もする事もないので、学生時代から最近まで登山が得意だったので遍路の旅に出て来たと話していた。見た感じは50歳前後だが耳は少し遠いようだ。
MK氏に足の裏に出来たマメの治療法を尋ねると、
「マメが出来て水ぶくれに成ったところに、針先で穴を開け、完全に水を出し切ったところに、バンを貼り付けると殆ど治る」
 と聞いたので早速部屋に戻り、言われたように針先をライターの火で消毒した後、マメに穴を開け、両手の親指でマメを絞って徹底的に水分が抜けるまで(その間痛かったが)絞り切ってバンを貼る。これで良く成れば良いが。
天気予報によると、明日は雨模様で時には強い風も吹くと言っていたが、既に雨が窓に当たる音が聞きながら、供養した3人の家族に宛てて葉書を書く。今日一日の日記を付ける。夕張の女性は明日息子と暫く振りで会うのを楽しみにしていることだろう。