空海(弘法大師名は死後贈られた)は太龍寺で修行した記録がある

30日(6日目) 土 曇り後雨 17℃ 23,0km(136,8km) 4年前の老婆と会う
金子や―二十番鶴林寺(かくりんじ)―二十一番太龍寺―大根峠―二十二番平等寺阿南市民宿山茶花(さざんか) 6700円
 MK氏は今日40キロ歩くのでお先にと出て行った。鹿児島県のHN氏は半ズボンの軽装なスタイルで如何にも山登りの男らしい格好だったが、小生はゴア・テックスの完全装備で7時宿を出る。程なく雨も上がった感じなので農家の駐車場で雨具を脱ぎ白衣に戻る間、彼は先に坂道を登って行った。坂はコンクリートの簡易舗装ながら小型車がやっと通ることが出来る程度の小道で、道の両側にはミカン畑が傾斜地にへばりつく様に広がっていた。この道は暫く続いた後、急な遍路道に差し掛かる。急坂を一歩一歩喘ぎながら歩を進めるが、所々階段があって登り辛いことこの上もない。車道を横切ると石畳の道が続くが、その先に山門が見えて来た。8時5分標高500米の鶴林寺に着く。
 この寺は前回風呂場の洗面用の湯が出ず、部屋の暖房は暫く付かず、料理が不味かったりして印象の悪い寺だった。既にMK、HN氏の姿は無かった。徳島で買った靴が少し小さめの為、足の裏のマメはMKドクターの治療法が効いて痛みは半減したが、爪先に痛みが出たので靴下を脱いで見ると、2本の爪が紫色に変色しつつあったので、下りは出来るだけ踵に重心を置く状態で一気に500米弱を下ると川に出た。山際にへばりつく様な棚田が目に入る。三叉路の信号に「太龍寺」と書いてある標識通り右折して暫く歩くが、遍路の標識が無くおかしいと思ったので、偶々車が通り掛ったので、「太龍寺はどちらですか」と聞くと、今歩いている方向を指で示してくれたので、そのまま進んだが相変わらず遍路標識が無いので、思い切って今来た道を引き返す。又しても道を間違えたことに気が付いたのは、遍路地図を良く見るとこの道は確かに太龍寺に通じるが、それはロープウエイへの道だった。これで30分ロスしてしまった。何の為に遍路地図が有るのかと。早とちりには困ったものだ。これで二度目だが遍路道と車道の交差する箇所が問題のようだ。
 青みがかった川の橋を渡り右折して散在する農家を過ぎると、川沿いの道で白っぽい服装の逆回りの遍路とあったが、有ろうことかラジオを聴きながら歩いていたのには初めて出会った。遍路休憩所で一休みしてから間もなく急な坂道が待っていた。鶴林寺の坂道同様階段があったが登り辛いことは変わりなかった。やっと上方に明るさが見えて来たので気分的に楽な気持ちになった。鶴林寺と標高は殆ど変わらず、520米山上の寺、太龍寺に着いたら雨が降っていた。11時丁度。今日一日で延べ約千米の山を登ったことになる。突如携帯電話が振動したので耳に当てると、元上司のHSさんからだった。当然息使いが荒いので心配して、「大丈夫か」との問いに「大丈夫」と答えると、
「無理をせず他の交通機関を利用して帰って来たら」
「最後まで歩いて結願する」
と伝え電話を切った。誰でも坂を登った時の荒い息使いを聞いたら心配したことだろう。納経の後、前回この寺で「生姜湯」を買い、風邪の予防に備えたことを思い出して買った。
完全装備の雨具に着替える。ここから龍山荘までの下り道は急で、足の指先の痛みに堪えながら、元坂口屋の売店を過ぎて車道に出る。前回はここで道を間違えた記憶が甦り、暫く下ったところで郵便局のバイクが見えたので、道を尋ねたところ間違っていないことが判り安心した。龍山荘の軒先を借りて雨をしのぎ、自販機でお茶を買い、民宿で作ってもらった握り飯を食べたが何故か心細さが身を包んだ。その内宿の主人が見えたので、
「最近は時期的に暇でしょう」
「時期に関係なく以前と違って不景気で遍路タクシーが減り、日帰りバスツアーが増えて素通りされ、歩き遍路も区切りが多く、通しは数えるほどしか居ない」
とこぼしていた。
棚田は北海道ではお目に掛れない

山あいの地には刈り入れの終わった棚田が目に入るが、苦労の程が知れる。
この調子では日和佐の宿に夕方まで着くのは無理と思いキャンセルしたが、宿では今更キャンセルされても困るとのことだったが、時間的には無理なので何とか判ってくれたが後味の悪い電話だった。
坂口屋の前の舗装道路を暫く歩くと、直ぐ田舎道になり阿瀬比町の国道に出た。
76歳の老女何時安住の地が得られるのか

そこを突っ切ると遍路休憩所があって、そこには4年前延光寺付近で会った当時72歳の老婆が、雨を避けて一人アノラックを身にまとい背中を丸めて寝ていたのが目に入った。相変わらずお接待主体の生活を送っているのかと思うと憐れさを覚える。これから冬を迎えるというのに、この先どのような気持ちで過ごす気なのか。
平等寺に向かう三度目の急な坂を登ると大根峠(H288米)に着く。漸く雨も上がったので雨具を脱いで白衣に着替える。ここからの下りは左側に杉林が、右側には竹林の中を通るが、間もなく竹林のみで、先日の台風で多くの竹が倒れたままの状態で、昨日の修験者の話通り、山道の部分は切られて通るのに支障がなかった。狭い石畳の道を過ぎると間もなく人家が見えて来たので、暫く灌漑溝に沿って歩くと平等寺が見えて来た。山門前で小雨の中寒そうな托鉢の若者が一人立って居た。寺の隣の民宿と売店を兼ねた「山茶花」に荷物を置いてから、3時5分山門をくぐる。読経と納経を終えて階段を降りると、かの若い托鉢が居たので話しかけると、
「親父は団体の先達で四国を回っていて、自分は目下修業中の身で、先達見習いとして托鉢で生活しているが、彼女は埼玉の春日部市で生活している」
と言わなくても良いことまで話し出した。托鉢姿を写真に撮った後、モデル代として小銭入れにあった700円ほどお接待をした。
山茶花」は食堂と売店に民宿を兼ねた造りで、食堂のメニューも数多く紙に張り出されていた。女将さんは働き者のようで、靴を脱ぐと電気乾燥機を持って来てくれ、洗濯機と乾燥機は無料で、糊の効いた浴衣を差し出してくれた。風呂で今日三度の山越えの疲れを癒す。風呂から上がると、中年と言っても初老の女性が二人入って来た。洗濯物を部屋に持ち帰って荷物の整理をした後、食堂で三人で食事をしたが、奈良県から区切り打ちで、二人は何時も一緒に行動しているようで、ビールの呑みっぷりも堂に入っていたのを見ると恐らく二人とも独身のようだ。部屋に戻ってから今日一日の日記を付けたが、今日は距離の割には三つの山越えをしたせいか、眠気を振り払うのに懸命になって日記を書く。