おどろおどろしい祭壇脇で寝る

11月
1日(8日目) 月 晴れ 19℃ 28,8km(200,5km) 土佐(高知)入り
あづまー鯖大師―道の駅宍喰(ししくい)温泉―野根スーパー―東洋町東洋大師明徳寺(みょうとくじ) 3000円
 昨日の雨もすっかり上がって清々しい青空が広がっていた玄関前で、女将とMK氏と、小生と女将との写真を撮り合う。8時20分、女将に別れを告げて東洋町に向けて歩き出し、1時間ほどで番外霊場鯖大師が見えて来た。線路をくぐって本堂で焼香した後、再び国道55線に出ると左手に長閑な海が望まれるが、日差しは結構きつく日陰が恋しいくらいの陽気に汗ばんでくる。MK氏もマイペースで歩いているので距離も段々離れて、その内後ろを振り向いても視界から姿が消えた。線路を二度くぐり橋を渡ると海部町に入る。国道を右に曲がると大きな半島が見える。入り江には多くの養殖いかだが秋の日を浴びて浮いているのが見え、その向こうの鬱蒼とした樹林と好対照を示していた。前回来た時は半島ではなく島だと思っていたが、半島の付け根が僅か繋がっているので半島と知った。
サーフィンを楽しむ若者、寒くないのか

宍喰町に入ると海辺にサーフィンをしている若者が波に乗っている姿が見られ、今日幾ら暖かいとは言うものの寒いだろうと思いながらカメラに収める。道の駅宍喰温泉に12時30分に着いた。客は少なかったので荷物を長椅子の上に置いて、カレーライスを注文する。東洋大師までは10キロもないので時間調整を兼ねてゆっくり寛ぐことにした。3日の宿を前に泊って好印象を得た奈半利町の山本旅館を予約する。女将さんの張り切った声が電話機を通じて伝わってきた。古い造りの柱や梁の重厚さと、ステンレスの大きな浴槽とウォシュレットとの対比が何とも言えず懐かしい。食堂で長時間を過ごしたのでコーヒーを注文して飲んだが酸味が利いて美味かった。道の駅を出ると間もなくトンネルに入り、抜けるとそこは土佐の高知県だった。国道の急な坂を上り甲浦(かんのうら)大橋から下を見下ろすと、甲浦港とその入り江は青く澄んで綺麗なミニチュアセットを見るようだ。足の裏の痛みは益々酷くなる一方だったが、東洋大師も間もなく着く距離なので休むことなく先へ進む。MK氏とも途中で合流して一緒に東洋大師に向かう。東洋町野根には昨年まで、まるたや旅館があったが、女将さんも歳を取り宿をたたんだ為、遍路達に頼まれて泊るだけの宿を提供したのが東洋大師明徳寺だ。
3時半、寺に着いてたくましい坊主頭の住職に挨拶を交わし三千円を渡す。風呂は有るが、食事は無く泊る部屋も本堂の祭壇脇の片隅に勝手に蒲団を敷いて寝るだけで、おどろおどろしいこと、この上もなしの環境だ。
 一先ず荷物を下ろしてからMK氏と二人でここから約1キロ先の野根スーパーに出かける。品数は当然ながら少なくカップラーメンとハムに竹輪に缶ビールを買って店を出る。この町の名産野根饅頭は昭和天皇にも献上した指先大の一口饅頭で、前に食べた味を思い出したので一箱買って寺に戻る。今夜は祭壇の隣で寝ることになったが、周囲は雑然として碌に座る場所も無いほどだったので、先ずそれらの物を片付けてから、自分の荷物の整理を早めに済ませて場所を確保する。彼が先に風呂に入ったので、風呂の状況を聞いて入ったが先ず先ずだった。風呂の中で今日一日の疲れを落とし、痛んだ足の裏を揉んでいる時、住職の読経と太鼓に鉦の音が聞こえてきたのでそれに合わせて足の裏を揉む。風呂から上がって、足の裏のマメを針で穴を開け、水分を徹底的に搾り出した後、バンを貼る。その後ハムと竹輪を肴にして缶ビールを喉に流し込む。彼と缶ビールを呑みながらの四方山話の際、彼の家は丸亀だが、奥さんと義母の三人で中村市の民宿で食べた料理の素晴らしかった話が出たのが、前回の遍路で遠回りだが泊った同じ民宿中村で、思わず、
「実は私も前回行って驚いたのは、冷たいものから順に出て、我々の食べ方に合わせて一品ずつ、それも焼き魚や天ぷらのように熱いのは熱い内に出てくる若女将のもてなしに感激した」
 と二人で話題が一致したことを喜び合った。
缶ビールも空になったので、慣れない手付きでポットの湯をカップラーメンの器に入れて暫く蓋をした後、外して食べたが、空腹のせいか美味かった割には雰囲気は味気なかった。
 埼玉の長女に今夜の寺のおどろおどろしい模様をメールで伝えると、返しのメールで、孫の真が、「おじいちゃんはお化けが好きなのかな」と、話していたようだが、娘がどんな話を言ったかは知らないが、孫にも物好きなお爺ちゃんに映ったらしい。
昨日から今日に掛けて一期一会の世界を数多く体験した、二日分の日記は書くことが多く寝たのは10時頃だった。彼は既に寝息を立てていたが、昨日から今日に掛けての出来事は彼の一生の記憶に残ることだろう。明日は愈々室戸岬に到達する。