この空と海の青さに暖かさを北海道に・・・

2日(9日目) 火 快晴 21℃ 33,4km(233,9km) 室戸岬に到達
明徳寺―佐喜浜―夫婦岩(めおといわ)―御蔵洞(みくろどう)―二十四番最御崎寺(ほつみさきじ)―室戸市最御崎寺(宿坊) 6550円 
 5時から住職は本尊に向かって朝の勤行を始めたので、寝ている訳にも行かず蒲団から抜け出す。愈々佳境に入ると念仏を唱えながら太鼓を叩き、鉦を鳴らし声を張り上げ精魂を込めて読経を終えると外に出て行ったので、我々は腹が空いてきたのでカップうどんにポットの湯を注いで簡単な朝飯とした。
出発すべく荷物を背負って外に出ると、住職は本堂横にしつらえてあった上から噴出す滝のような水を浴びる荒行で一生懸命お経を上げて水垢離をしていた。
明徳寺住職の水垢離

その姿をカメラに収めていると一段落したのか、タオルで身体を拭きながら、
「これからは寒さも増すので大変だがこれも修行だ。今度夏に来ることがあったら是非この水を浴びたら最高だ」
 7時15分、住職に別れを告げてMK氏より一足先に寺を出ると直ぐ国道55号線に出る。これから室戸岬までは海沿いの道を只前に進むだけの極めて単調な歩きが続く。この空と海の青さにこの暖かさを出来ることなら北海道に持って行きたい等と考えながら南国の陽を左に受けながら歩く。時々台風23号で崩れた崖の修復工事の間を縫って歩くが、その間家は全く無く、只有るのは青い海と空と一本の道だけだ。今日も半袖シャツの上に白衣だけの軽装だがそれでも汗が吹き出てくる暑さだった。
間もなく淀ヶ磯に差し掛かる。場所によっては海岸に目を転じると流木やゴミが散乱してやりきれない思いに襲われる。今でこそ舗装された国道が通っているが、かってはこの付近が遍路の一番の難所で、山側は海に迫り、海岸は岩や石で容易に歩けず、打寄せる波の間を縫って渡った場所で、中には波にさらわれて水死した人もいたと聞いた。
その先の佛海庵付近で写真を撮っているところにMK氏が追い付いて来たのには驚いた。彼もこの二、三日の強行軍で大分疲れていると思うが良く頑張っている。10時15分、佐喜浜のスーパーでお茶と巻き寿司を買い再び歩き出すと、道端に鹿児島のHN氏が休んで居たので、
「30日私は平等寺に、貴方は確か日和佐に泊った筈だが、それにしては今日ここで会うとは何かあったのか」
「31日は牟岐町の民宿杉本に、昨日は東洋大師手前の民宿に泊ったが、疲れたので休んでいるところだが、貴方とここで会うとは思わなかった」
 と再会を喜んでいた。彼と国道を歩いて間もなく、前方に夫婦岩が見えて来た。夫婦と言っても実際は三個の大きな岩だが、大きい方の二つを注連縄(しめなわ)で繋がっている。この岩は室戸岬に向かう人、室戸岬から来る人夫々のランドマークで、殆どの人はここで休憩する。
11時20分、休憩所に荷物を降ろして先ほど買ったお茶を飲んで巻き寿司を食べているところに、25分遅れてMK氏が着いた。食後彼を撮った後、HN氏にカメラを向けると何故か断られた。そこへ物凄い音を立てて2台のオートバイが来たので、乗っている人に、「このオートバイ何CCか」と聞くと「1500CC」には驚いたが、とにかく見たことも無いよう巨大なオートバイだった。エンジンの容量だけから判断すると、小型車並みの馬力で大きさはロバ並みと言ってよいほどだった。彼らは今晩徳島に泊ると言っていたが、約140キロを我々歩き遍路が5日掛ったのを、僅か半日で吹っ飛ばすとはまさに文明の利器の便利さを思い知らされた一瞬だった。彼等は再びエンジンの音を響かせながら出て行った。その後二人も出て行った。
12時12分、夫婦岩を後に再び只一筋の海辺に面した道を歩き出す。この辺まで来ると人家が目に付き、学校のグランドでは子供たちの歓声が聞こえてくる。間もなく海洋深層水の工場が見えて来たので、パンフレットを貰うため事務所に入ると、「ご苦労さん」と1本サービスしてくれたので、早速喉を潤すと、汗がスーと引くような感触が伝わってきた。「美味しかった」と礼を述べて外に出る。
遂に室戸岬が視野に入る

間もなく室戸岬の先端が見えてきた。高岡町に入ると白亜の青年大師像が太平洋に向かって屹立していた。御蔵洞に向かう途中、生け垣の山茶花の枝が指に刺さり出血したので、これも塀代わりに植えてあった背丈ほどもあるアロエをちぎって、汁を傷口に塗りながら御蔵洞を目指す。
2時半、御蔵洞前の売店の椅子に荷を降ろしていると、MK氏が来たので一緒に洞窟の中に入る。空海が青年時代修行した洞窟で、教海から空海と名を変えた場所だけあって、前回は生憎夕暮れ時だったので空と海の青さは余り感じられなかったが、今回は太平洋の空と海の青さはまさに空海そのものだった。空海は修行の結果八幡大菩薩の霊験を得たと伝えられる祭壇にろうそくを灯して合掌する。洞窟を出て売店の人に荷物を受け取る際、今回の空と海の青さを話したところ、「それは良かったね」とお接待に饅頭を呉れたので椅子に座り直して、これもお接待の残りの海洋深層水を心行くまで飲んだ。
室戸岬突端近くに有る最御崎寺(H165米)への登りは、30キロ以上歩いた身にはきつかったが、最後の力を振り絞って岬の突端近くにある山門に辿り着いた。時計を見ると3時10分を指していた。
本堂で薬王寺以来二日分の故H(祖母)故N(弟)故H(叔父)故KY(叔父妻)故SM(元上司)故KK(元上司)故SY(友人母)を供養し、大師堂で読経を終えた後、鐘楼で鐘を撞かせて貰った際、鐘の余韻の中、今日供養した故人の在りし日の面影を偲び、また新仏の亡き弟が生前車で四国の旅をした際、この寺に参拝したとの話を聞いたことを思い出し、今頃彼の世で何をしているのかと、ひと時の感慨に耽る。
納経を済ませてから宿坊に行くと、幸い今夜は団体客が無いと聞いたのでホッとする。案内された部屋は旅館風な造りで、民宿に慣れた身には勿体無さを覚える。早速洗濯物を洗濯機に詰め込んで風呂に入ったが、風呂場も広く立派な造りで、今日も33キロ歩いた身体を湯船に沈め、天国天国と湯に浸る。早速足の裏のマッサージをするが、右足の人差し指は腫れて紫色が濃さを増してきた。食事は今までの宿坊では一番良かった。食後部屋に戻り、神戸の従兄弟のUI夫妻に近況を話す。室蘭の兄K、Tに室戸岬の突端の寺に居ることを話し終えると、携帯に300円しか残っていないとのメールが入った。明日少しでも距離を稼ぐため、奈半利町の山本旅館に電話で、「申し訳ないがキャンセルする」とMK氏の分も含めて通知すると快く承知してくれたので、神峰寺(こうのみねじ)下の民宿きんしょうを予約する。マメを搾り出した後、紫色に変色した右足人差し指にテーピングする。終わって今日供養した故N宅外三人の家族に葉書を書く。その後今日一日の日記を記す。