左から陽を浴びて土佐湾を歩く今日も快調だ

3日(10日目) 水 快晴 20℃ 34,8km(268,7km) 土佐湾の落日
最御崎寺(宿坊)―二十五番津照寺(しんしょうじ)―二十六番金剛頂寺(こんごうちょうじ)―安田町民宿きんしょう  5500円
 7時3分、宿坊を出る際、リュックを背負うと金具と時計のバンドが接触してゴムバンドが切れた。変な予感を覚えながら車道を下ると、眼下に朝日が差し込む室戸市室津港と大きく湾曲した土佐湾を一望に見渡せる眺めをカメラに収める。下りで足の指先に力が入るので、多少重心を後ろ気味にして下ると、右人差し指のうっ血はテーピングしたので何とか痛みを軽くすることが出来た。下り終えると国道55号線に平行した道を進む。道の両側には
道の両側にハイビスカスの並木が続く

朝の室津港は漁港としてはこの地方では大きい方に属するが、今日は出漁した後なのか漁船の数は少なかったが、それでも何となく浜の賑わいが感じられた。
8時20分、津照寺は海の守り本尊を奉っている寺とあって、朝早いにも拘らず多くの人が参拝していた。故お袋と故YY(亡弟の縁戚)故ST(元東京営業所の上司)故FT(元部下)の供養をしたが、1月死去したお袋と昨年9月死去し昨日供養した亡弟と共に成仏されることを祈る。納経の際、郵便局の場所を尋ねると、親切にも紙に丁寧に道順を書いてくれた。実は前回納経の際、
霊山寺が一番札所の特権を利用して、遍路用品を好き勝手な値段で売っている」
 とまくし立てていたのを思い出したが、今日は何故か機嫌が良かった。
 HN氏と合流したので彼と一緒に郵便局を行くのを止めて金剛頂寺に向かう。民宿うらしまを右折すると間もなく急な坂道が待ち構えている。
9時40分、金剛頂寺(H165米)に着き読経を終えて納経所横から別の遍路道を彼が先に歩いて行ったのでその後を付いて行くが、靴紐を締め直しているうちに彼を見失ったので、遍路マークを探しながら歩いたが、間違ったらしいので、丁度農家があったので遍路道を尋ねると、家の人が親切にも分岐点まで同行してくれたので礼を言って別れた。急な坂が続くので足の指先に負担が掛らないよう、踵に力を入れる感じで下ると国道に出た。ここからは土佐湾に沿って歩くだけだが、天気も良く風もなく、今日は文化の日、北海道の今頃はみぞれか雪が降ることを思うと同じ日本で随分違うものだと、申し訳ない気持ちになる。その内彼に追い付いたので、そろそろ昼時なので食堂を探すが中々見当たらず、折角食堂の看板を見付けると、今日は文化の日で休業の看板が掛っていた。彼は登山の猛者とあって半ズボンの軽快なスタイルで歩くペースは中々のもので付いて行くのも大変だった。
羽根川を渡った直ぐのところに、12時10分、中華料理店があったので二人で店に入る。狭い店内には5人ほどの客が居て、荷物を降ろす場所を探すのに苦労した。四国に来て初めてラーメンを食べたが、細い麺をゆで過ぎたのか、柔らかくてうどんを食べている感じだった。彼は先に店を出たので、新聞を読んでから1時丁度店を出る。標識を見るとこの辺は未だ室戸市で随分横に広いが、殆ど海にへばり付いている過疎地帯だ。
国道から遍路道に入ったが、また国道に出たので引き返し、山中商店で中山峠への登り口を尋ねると、お婆ちゃんが店を出て、遍路道まで送ってくれたが、「お遍路さんは良く道を尋ねてくる」と話していた。中山峠への急な坂道が続くが、途中ビニールハウスが多く見られ、西瓜が20センチほどの大きさになっていた。峠(H110米)を下って国道のバス停でMK氏が握り飯を食べていたのに出会った。我々より遅く寺を出たが、中華料理店で食べている間に追い越して行ったようだ。二人で国道と旧道を交互に変えながら歩くと、奈半利の町に入る。前回泊った山本旅館を昨日キャンセルしたが、豪華なステンレスの浴槽と初めて四国で利用したウォシュレットのこと等を思い出しながら通り過ぎる。田野の道の駅で休憩し、海洋深層水を買って飲んだが、乾いた喉にはたとえ様もない美味さが喉元を過ぎていった。MK氏は向かいのスーパーに酒を買いに行ったので、ここで別れ、民宿きんしょうを目指して歩き出す。4時を過ぎると昼間の暖かさは影を潜め汗もかかなくなった。今夜の民宿きんしょうに着いたのは4時半だった。人の良さそうな主人に案内されて部屋に入ったが、十畳以上の広さがあり、一人で泊るには勿体無い感じだったので主人に聞くと、
「ここは以前結婚式場や宴会場として使われていたが、最近新しい会場が出来たりしたので、民宿に衣替えしたが、今日も4人泊って貰ったので、民宿の方が気が楽で遍路さんとの触れ合いが何とも言えない。
土佐湾の落日は沈むのも早い

若しカメラを持っているなら国道を渡ると海岸に出るので、土佐湾の夕日を写したら如何ですか。」
と話してくれたので、早速カメラを持って宿の前の国道を横切り海岸に出ると、夕暮れの海に夕日がまさに太平洋に沈まんとしているタイミングだった。シャッターを押しながら数分間の落日の模様を写す。地平線近くの落日のスピードが速いのには驚いた。日本海に沈む夕日に比べてスケールが違うようだ。
洗濯物は宿で洗ってくれるとのこと。風呂に入り今日も35キロ近く歩いた足を良く揉んで、明日に備える。食堂でサワチ料理を食べ、ビールを呑んでいると、遍路の二人が主人と一緒に戻って来たので訳を聞くと、客の二人が神峰寺に登ったが帰りが遅いので、心配した主人が車で迎えに行った由。車道を通ると道に迷う心配はないが時間的に無理を承知で出かけたらしい。民宿の主人も大変な仕事だ。
広い部屋で只1人机に向かって今日一日の出来事を思い出しながら日記帳に書き込む。二人の兄にお袋を供養して事を葉書に書く。寝る前に、新たに出来た左足人差し指先のまめにも、右足指先同様テーピングをしてから蒲団に入り、土佐湾の夕日の綺麗だったことを思い出しながら何時の間にか寝入ってしまった。