落葉で焼いたサツマ芋の接待は最高の味だった

4日(11日目) 木 快晴 22℃ 34,6km(303,3km) 30km先を目で確認
きんしょう―二十七番神峰寺(こうのみねじ)―きんしょう―安芸市(あきし)―夜須町(やすちょう)旅館住吉荘 6000円
 6時55分、民宿に荷物を預けて冷気が包むビニールハウスの中の道を歩き出したが、右足人差し指の爪が痛みだしたので、一旦裸足になりテーピングをやり直し、インナーソックスを脱ぐと痛みが薄れてきた。暫く車道を通りアンダーパスをくぐって大きな浄水場の脇を通る辺りから勾配がきつくなって漸く汗ばんで来た。
文旦を見ると食欲をそそるが未だ食べられない

途中、10センチから12センチほどに大きくなった文旦畑があったのでカメラに収めたが、前回荷物を預けた帰りに文旦のお接待を受けた農家の畑かもしれないが、あの時初めて食べた文旦の味を思い出す。これから先は車道と遍路道が幾度となく交差するが、勾配はきついので途中で休むと、土佐湾が大きな弧を描いて広がっているのが目に入る。
三菱の創始者岩崎弥太郎の母が息子の為に、お百度参りをした逸話が残っているが、この急な坂道をよく毎日登ったものだと、子を思う母の気持ちが痛いほど判った。
遍路道が消えて車道のみとなったところで、上から降りてくる相変わらず半ズボン姿のHN氏と会うと、MK氏が本堂に居るとのこと。
7時55分、丁度1時間で神峰寺(H430米)に着き、納経所で彼と会ったので、「何処に泊ったの」と聞くと、
「浜吉屋に泊ったが婆さん一人でサービスも悪く参った。何れ貴方には追い抜かれるので先に行きます」
 と笑いながら帰り掛けたので、「写真を撮って上げる」と、刈り込みの見事な庭木を背景にカメラに収め、後日送ることを約して彼と別れる。納経を終えて山を下ると、土佐湾は朝日を受けて素晴らしい眺望を望むことが出来た。今日も快晴の一日に成りそうだ。下りは47分で民宿きんしょうに着き、主人と10分ほど立ち話をした後握手して別れる。
海沿いの国道55号線は相変わらず車の往来が多かった。道路工事中の見張り役の人に、今夜の宿、夜須町の場所を聞くと、
「正面に見える大きな町が安芸市で、海岸線の切れた遥か先の左に、今日は曇って見えないが岬の裏側に夜須の町がある。今日中に着くのは無理だ」
左側かすかに見える?岬の裏が今夜の宿のある夜須町 

話を聞いて、土佐湾が大きく湾曲しているので、30キロ先の地点を初めて目で確認出来た。何故なら今まで30キロを、地図上で、又は歩いたり、車で走ったりした程度でしか実際の距離を目で確かめる術がなかったからだ。我ながら連日良くこの距離を歩いているものだと、女子マラソンでオリンピック準優勝の有森裕子ではないが、自分で自分の足を褒めてやりたい気持ちになり、両足に手を触れて数回軽く叩いて、意志の強さで不可能を可能に出来ることを感じた一瞬だった。
国道と崖の間の狭いところにビニールハウスがあったので、中を覗くとナスが実を付けているので、お婆ちゃんに、
「この茄子は何時頃植え付けするのですか」
「接木した苗を8月20日頃植え付けると、10月下旬から来年6月頃まで収穫することが出来る」
「消毒はするのか」
「勿論消毒しないと商品に成らない」
との答えが返ってきた。我が家の無農薬ナスの漬物の味を思い出す。国道から防潮堤の上を暫く歩く。
 安芸市に向かう途中の崖の下で落葉焚きをしている老人3人が、焼き芋を食べているところを通り掛ると、
「お遍路さんご苦労なこった、焼き芋を食べないか」
 と焼き芋を呉れたので、お礼を言って、皮をむいて口に入れると甘さが口の中に一杯広がる。
「美味しいね」と言うと、「どちらから」の問いに、
「北海道だが、このように落葉焚きの芋を食べたのは初めてで、子供の頃、浜でジャガイモを焼いて食べて以来だが、落葉で焼いたサツマイモの美味さを初めて味わった」
 とお礼を述べて別れの挨拶を交わすと、
「貴方も達者でな、気を付けて」の声に送られて歩き出したが、思わず、「山茶花山茶花咲いた道、焚き火だ焚き火だ落葉焚き・・・」の童謡が口から出て、まさに山茶花の季節とあって、暫くその余韻は口の中と心に響いた。
 11時半、阪神タイガースのキャンプ地として知られる安芸市内に入り、ホームセンター近くの中華料理店に入り、小上りに荷物を置いてチャーハンにスープが付いて550円は安かったので注文する。
程なくチャーハンが来たが、大盛りの上、スープのほか、後でコーヒーまで付いて来たのには驚いた。遍路と知ってのお接待と感じた。1時間半も長居をして1時店を出て、ホームセンターで単3電池を4本買う。町外れのローソンで携帯のプリペード・カード(5000円)を買い、序にEメールの出し方を教えてもらったので、アンマンを1個買う。
間もなく土佐湾に面した長大な防潮堤の上を歩いたが、部分的にはサイクリングロードとして活用されているが、とにかく長いもので今更ながら、津波対策にお金が掛ることを思い知った。防潮堤の右側には住宅もあって中を見ようと思えば見える距離で、プライバシーも何のそので、窓から足を出して日向ぼっこしている年寄りや、防潮堤の上で只黙って海を眺めている何人かの人たちが目に入る。
陸に上がって朽ち掛けている漁船や、魚具のほかにゴミが至るところに散乱している様は、四国の人の公徳心の無さを如実に示していた。高知県は沖縄に次いで所得が低いと聞いていたが、このような状況を見ると何となく判るような気がした。海岸に沿ってのコンクリートの防潮堤が途切れて、緩やかなアップダウンの本格的なサイクリングロードが、時にはトンネルをくぐったりしながら続く。この防潮堤とそれを兼ねたサイクリングロードは安芸市から延々10キロ近く続いて、四国ならではの日本版万里の長城か。
国道に出ると左手に大きなビニールハウスが軒を連ねて並んでいた様はまさに壮観だった。夜須町に入る手前に瀟洒な二階建ての住宅を見て、二階のベランダの椅子に座って、太平洋に落ちる夕日を望みながらコーヒーを飲む姿を想像して歩いていると、夜須町の標識が目に入り左折して暫く下ると、今夜の宿、住吉荘があった。
道路工事の人が言っていた、「今日中に着くのは無理だ」の言葉とは違い4時半、住吉荘に着いた。本館は料理屋風の造りに成っていたが、今夜の泊る部屋は向かいの民宿の造りだったが、泊るのは一人だけの寂しい宿だった。女将さんは、
「昨日まで工事関係の人がいたが今日は貴方だけでゆっくりして下さい」
 と話していたが遍路客は少ない模様だった。裏口を出たところに洗濯機があったので中に洗濯物を放り込んで、風呂にゆっくり漬かりながら、三日連続で100キロ以上歩いた足を良く揉んだ。夕食は料理屋だけあって、鯛の刺身と鯛のカマの塩焼き等魚ずくめの献立に食欲も進む。向かいの部屋に戻り、右足薬指のマメが出来て皮が剥れかけたので、針で穴を開けて水分を搾り出してバンを貼る。テレビで米国大統領にブッシュ氏が再選されたと伝えていた。今日も天気に恵まれ、30キロ先の距離を目で確かめて自分で自分を褒めたり、初めて落葉焚きの焼き芋を食べた充実した一日を日記に書き込んで蒲団に入る。
明日は愈々高知市に入り一日観光を楽しむか。夜中、下で何か大きな声がしているのを耳にしたが、間もなく静かになったのでまた眠り込んでしまった。