連日の鰹のタタキから開放され焼肉を食べてご機嫌ご機嫌

5日(12日目) 金 晴れ 22℃ 28,4km(331,7km) 明叙園で待望の焼肉
住吉荘―二十八番大日寺長岡温泉食堂―二十九番国分寺―三十番善楽寺高知市BH空港    4935円
 6時20分、向かいの二階で一人朝ご飯を食べるが、何となく寂しいものだ。女将さんが見えてお茶を入れて呉れた際、
「昨夜は騒々しい音を立てて申し訳なかった。息子が友達を泊めてくれと言ったので、この夜中に何事かと叱った次第で、お詫びに6900円のところ900円をサービスさせて頂き6000円で結構です」
と安くなることに就いては大歓迎なので、
「大した気には成らなかった」と言って7時、宿を出た。
 昨日は気が付かなかったが、旅館の直ぐ脇の土佐湾を望む場所に、石碑が立っていたので見ると、戦争中この崖下に人間魚雷の基地があって、爆薬事故が発生し、多くの二十歳前の若者が死亡したので、後に関係者がここに慰霊碑を建てたとあった。
国道に沿うようにしてサイクリングロードが通り、歩きやすかったが、途中台風で崩れた崖を迂回して歩く。岸本町辺りからの防潮堤のコンクリートは荒さが目立って、足の裏に軽い痛みが走るのを我慢しながら歩くと、川に出たので遍路道から外れたことに気が付いて、右折して国道に出ると赤岡町だった。国道の1丁山側を歩いていると、道端にゴミの袋が山積みになって置いてあるのを見たが、袋は同じ大きさなので、傍で井戸端会議?をしているおばちゃん達に、
「この袋一枚幾らするのですか。実は北海道札幌市の東隣に江別市と言う町があって、10月からゴミは有料となり、買った袋に『燃やせないゴミ』の日は燃やせないゴミの袋に詰めて出すことになり、この大きさですと40円掛るが、赤岡町ではこの袋一枚幾らで売っているのか」
「ゴミは有料ではないのでそんな高い袋は買ってない、貴方のところの分別状態結果はどうですか」
「町内では32ヶ所のゴミステーションがあって、当初は不慣れで一部では一般の袋を使ったりしていたが、こちらに来る前には分別は勿論、100%近く有料の袋を使うようになった」
 と話すと皆さん驚きの表情をこめて、
「素晴らしい町ですね、貴方は随分ゴミに関心があるが」
「実は町内会のゴミを担当している役員なので、ついゴミの山を見ると気になる」
と照れくさいが白状すると、
「良いことをしているからお大師様もきっと守ってくれる」
褒められると満更悪い気もしなかった。
 9時、野市町に入りボーダーフォンの店があったので入り掛けると、時間が早いので店は未だ閉まっていたので、そのまま通り過ぎると坂本竜馬の展示館があった。間もなく大日寺が見えて来た。
 9時20分、大日寺に着いた。故HS(関係会社の元社長)の供養を済ませて山門を出て道を下ると、特徴のある黒っぽい菅笠を被ったMK氏と出会った。彼も頑張っているようだ。国分寺への道は迂回する形だが、少し道を外れたので喫茶店の人に道を聞いて、前に渡った記憶のある物部川の橋を渡る。収穫の終わった田園風景の道を国分寺に向かう途中、逆打ちの若者二人が見えたので、
「逆打ちですか」の問いに、
「初めての遍路で無理とは承知で逆打ちをしたが、一人だったら大変なことになったと思うが、二人で何とかここまで来れた」
とTシャツ一枚にリュックを背負った形で話していたので、
「これからも気を付けて行きなさい」と千円ずつ、二人にお接待を渡すと感激して涙ぐんでいた。彼等の心情は痛いほど判る。名刺を差し出して彼等に納め札を書いてもらう。見ると二人とも青森県五所川原市で26歳と27歳の青年だった。
コスモスは別名秋桜とも言うが群落も目に優しい

別れて間もなく一面コスモスの畑が目に飛び込む。
長岡町に入ると小学校の隣に真新しい長岡温泉があったので中に入る。12時丁度だったが風呂上がりの人が食堂でビールなどを呑んでいた。焼肉丼を注文した後、荷物を降ろして裸足になって、右足のマメを見ると大分良くなっている様だったので、バンを貼り直す。焼肉丼の牛肉は硬い上、味付けも塩辛く美味くなかったが肉は久しぶりに食べた。国分寺はそこから1キロほど先にあった。
1時半、四国で二番目の土佐国分寺に着き、土塀を見ると1200年前のものと説明にあった。裏から入ったので山門から入り直して読経、焼香を済ます。寺そのものは小さいが苔むした境内は年月の長さを伝えてくれる。奉仕の人たちが落葉を集めていたのを見て、これで芋を焼いて食べたら美味いだろうな、と昨日の焼き芋を思い出す。
善楽寺へ向かう途中の畑で、多くの人が何かを掘っていたので近寄って作物の名を聞くと、
北海道ではお目に掛れない生姜

「生姜を掘っている」と聞き、珍しいのでカメラに収めた。間もなく畑の真ん中に十楽寺への案内標識が見えてきた。木柱の「四国のみち」と白地に赤い遍路マークの「へんろみち保存協力会」の二つがあったが、我々は下の「へんろみち保存協力会」が頼りだ。
程なく坂道に差し掛かるとブロック造りの小屋が現れたのを見て、前回、昼に雨の中小さなスーパーでパンを食べただけの空腹の状態で、道を尋ねた際お接待に貰ったコンビニ弁当の「巻き寿司」をSH氏と二人で餓鬼さながら食べた記憶が甦った。暫く歩くと、四国銀行のグランドが見えて来たので、善楽寺はもう直ぐと元気付いた。正面に佐川急便の建物が見えて来たので、左折すると4車線の産業道路に出た。大きな車は相変わらずスピードを上げて走っているのを横目に見て、遍路マークに沿って墓地を通って住宅地に出ると見覚えの有るスタンドがあった。
右折すると土佐一宮神社と並んで善楽寺があった。明治以降の神仏分離ながら神峰寺同様同じ敷地内にある。時計を見ると3時35分を指していた。時間も遅いので幸い人が少なかったので早めに納経を終えて、五台山の竹林寺の方向目指して南下する。
途中から川筋の細い道を通り、県道44号線に出ると車の流れは一変し、4車線の広い道は車が引っ切り無しに走り、前回歩いた当時の面影は無く、橋も立派な姿に変っていた。途中県立美術館が武家屋敷風な姿を現す。段々薄暗くなってきたが、高須町に入っているのは間違いないが、今夜の泊るビジネスホテル空港は皆目検討が付かなく、尋ね尋ねて漸くBH空港に着いたのは5時20分で日は既に暮れていた。
荷物を降ろして整理している間に、浴槽に湯を溜める。浴槽に身を沈めながら今日の疲れを取る。風呂から上がってホテルの筋向い辺りにある前回焼肉を食べた明叙苑に出かける。ここの焼き肉を食べるのが楽しみでBH空港に決めたようなもので、早速ジョッキーで喉を潤し、タン、ミノ、ロース等を焼きながら久しぶりにスタミナの付く食事を取った。肉を堪能した後はキムチにテールスープでご飯を食べたが、何時もの民宿料理とは一味も二味も違ってとにかく美味かった。
部屋に戻り故HSさんの兄さんに供養したことを葉書に書いて、次いで日記を書き掛けたが、ビールの酔いも手伝って眠気がして来たので明日に持ち越す。明日は念願の高知見物の予定だが、テレビを見ると明日は快晴で24度との予報だった。北海道の人には申し訳ない一日に成りそうだ。ベッドに入ったが暑いので羽毛蒲団を外して、蒲団カバー一枚で寝たが丁度良かった。