24度の快晴のもと「南国土佐を後にして」を口ずさむ

6日 土 快晴 24℃ 高知市内見物(休息日)
高知城周辺 はりまや橋周辺 県立美術館 居酒屋「来福」 高知市BH空港 4935円
 今日一日高知市内見物とあって、時計の目覚ましをOFFにしたので、安心したせいか目覚めたのは7時を回っていた。カーテンを開けると快晴の空が遥か向うの山並みまで広がっていた。フロントに今夜の予約をした際部屋の掃除は要らないと伝え、バスタオルだけ部屋の外に出す。昨夜書き残した日記を書きながら、昨日歩いた防潮堤の長いことを思い出し、何時起こるか判らない津波にお金が掛ることを足で確かめた。書き終えてから明日の宿を土佐市高岡町の前回泊った白石屋旅館に電話したが通じなかったので喜久屋旅館を予約する。
12時、外は暑そうなので頭にバンダナを巻いて、半袖シャツの上にウインドブレーカーを着て、ウエストバッグにカメラを入れた軽装で、ホテルから5分ほどの電車停留所で待つほどもなく市街電車が来たので飛び乗り、久しぶりに市電に乗って高知城前で下車。近くにうどん屋があったので朝昼兼用のうどんの熱々をお汁代わりにご飯を食べたが、この暑さに汗が噴出て拭けども拭けども汗は止まらなかった。
高知城内に入ると今日の暖かさに見物客が大勢居て石段を登ると、山内一豊の妻が夫に贈った馬の手綱を引いている故事の銅像があったのを見て、再来年の大河ドラマの主人公だったことを思い出しカメラに収める。太い梁の追手門をくぐって天守閣に向かう石段をゆっくり登る。
思ったより小さかった高知城天守

意外にも小さい天守閣の中には靴を脱いで入る。展示室では秀吉に重用された山内一豊の武功と、武具や当時の地図等を見ながら当時に思いを馳せる。幕末当時の山内容堂大政奉還に就いての役割や、若くして命を絶った武市半平太中岡慎太郎坂本竜馬が、後の明治政府に土佐が大きな影響力を与えた功績等が、展示物を通して一目で判るよう展示されていた。日本の片隅の土佐からはその外、経済界では三菱の創始者岩崎弥太郎もこの土佐から世界に向かって羽ばたいて行った。
 天守閣に上がる急な階段を登ると高知市内がほぼ一望出来た。天気も良く東西南北の窓からカメラで晴れ渡った市内を写す。階段を降りて天守閣の外に出て、天守閣を背景に写真を撮ってもらう。
 城を出てはりまや橋に向かう通りの右側に、間口こそ狭いがみやげ物や日用品を並べた店が軒を連ねている中に、それこそ間口が一間ほどの喫茶店があったので入ると、ジャンパーを着た主人が、メニューを出したので、モカブレンドを注文するとそのコーヒー豆を挽いてから、ポットで沸かしてくれたのを飲む。今時このようにその都度目の前で豆を挽いたのを飲ませてくれる店は余り記憶にない。四国に来て二度目のコーヒーが、モカ特有の酸味が利いた旨さと主人の心意気を伴って、文化の香り?と共に喉もとを過ぎて行く。間もなく若いカップルが入ってきたので、主人に礼を述べて店を出て、はりまや橋に向かう。
アーケードの両側の店は洒落た感じの店が多く、大丸デパートもあった。
赤いはりまや橋に、伸びた髭は似合わない

5分ほどではりまや橋に着く。ペギー葉山が歌った「南国土佐」で一躍世の脚光を浴びた、高知観光の目玉にしては観光客の姿はなかった。傍のみやげ物屋の店員に頼んで、擬宝珠を被った赤い欄干のはりまや橋を背景に写真を撮ってもらい、序にボーダーフォンの店を教えてもらう。アーケードの中は週末らしく人出で混雑していた。ボーダーフォンの店でEメールの入力方法を教えてもらう。店を出て時計屋を探したが中々見付からず、貴金属店に聞いて、一丁先の所にあった時計屋で時計のバンドを取り替えてもらう。バンドを直している間、この辺に時計屋が無い話をすると、
「最近の時計屋は商売にならないので、外は店を畳んで残ったのは家だけだ」
「独占企業みたいなもので、残りものに福があるとはお宅の様なことを指すのかな」
「我が家の息子に店を継がせようと思っているが、その気は無いようで、独占企業などとはとんでもない話だ」
 など冗談を言っているうちに仕上がったので、料金を聞くと、2千円と聞いて一瞬高いと思ったが、今更値切る訳にも行かないので渋々払う。序に郵便局の場所を聞くと、定価の2千円も貰って申し訳ないと思ったのか、電話で調べてくれ、大丸の屋上に有ることを教えてくれたので礼を言って店を出た。大丸屋上の郵便局でお金を下ろしてエレベーターで一階に降りる。店内は人出が多く忙しそうだった。はりまや橋傍の和菓子店で餡餅を買う。
一見武家屋敷風な造りの美術館

電車に乗り県立美術館で下車。見た目は武家屋敷風の造りで、美術館らしくなかったが、夕日を浴びて黒っぽい色調が一層古めかしく、正面入り口付近から見ると水に浮いているようにも感じられた。「印象派と西洋絵画の巨匠展」のタイトルで、ルノアールピサロドガドラクロア、モネ、シスレー等の印象派の名立たる画家の作品が展示されていた。四国に来てまで美術館に入るとは思わなかった。これも束の間の休日の贈り物か。
閉店直前に美術館を出てホテルに向けて歩いていると、居酒屋「来福」の看板が目に入ったので中に入ると、初老の女将が居た。ビールを呑み、酒の肴に黒いも(赤目芋とも言う)の煮物と、しま鯵の刺身を先ず注文し、四国の地酒「土佐鶴」を呑み始めると、「どちらから」との問いに、
「北海道から二度目の四国八十八ヶ所遍路の途中で、今日一日骨休みで高知見物の帰りだ」
「私も前に横峰寺に登ったことがあるが、きつくて参った」
その後は遍路の話やら四国の風土が話題となり時の経つのも忘れるほど楽しいひと時を過ごした。その内、客が入って来たので女将さんに別れの挨拶を交わして店を出た。
 ホテル近くの「ほっかほか亭」で明日の朝飯に、握り飯を買いホテルの戻ったのは7時近かった。
 高知見物の一日を書いている間に、風呂に湯を注ぐ。とにかく今日は11月の初めとは思えない陽気に恵まれ、今更ながら四国の暖かさを身をもって味わった一日だった。