昨日の休息が効いて足取りは快調、空も快晴だ

7日(13日目) 日 快晴 23℃ 35,7km(367,4km) 高知屋にうどん代金忘れる
BH空港―三十一番竹林寺(ちくりんじ)―三十二番禅師峰寺(ぜんじぶじ)―三十三番雪蹊寺(せっけいじ)―食堂高知屋―三十四番種間寺(たねまじ)―三十五番清瀧寺(きよたきじ)―土佐市喜久屋旅館 7935円
 6時40分、今日も昨日同様素晴らしい快晴の朝、ホテルを出て間もなく部屋に杖を忘れたことに気が付き慌てて部屋に引き返す。国道を進んだ先の歩道橋を左折したが、前回と違う道を歩いている感じがしたので、家の前を掃除している奥さんに尋ねると、間違っていないとのこと。真っ直ぐ進むと竹林寺がある五台山に差し掛かる。枝を四方に10米以上広げた、見事な藤棚を見ながら進んだが、葉もすっかり落ちて想像するしかないが、花見時の壮観さは例えようも無い美しさだろうと思った。
一昨年「奥の細道」車行脚の途中、何時の間にか歴史上から忘れ去られ、数百年人の目に触れることも無かった白河の関所址で見た藤の木の、樹齢千年近い幹は直径70糎ほどで、根の一部が10本以上束になって地上にせり上がって上の枝に絡まり、花は10米以上高いところに淡い紫色の花をたわわに咲かせていたのを見て圧倒された記憶が甦った。
急な坂道の両側には墓地があって、「松村」姓の墓が多く見られた。その間を縫うようにして登ると、名も無い様な小さな花に名札が付いているのを見て、ここは植物学者として有名な牧野富太郎博士の生地と判る。
朝日に映える竹林寺の赤い五重塔

牧野植物博物館の脇を通り、7時25分、竹林寺(H120米)は2本のテレビ等と並ぶ形で山上にあって、赤い五重塔は朝日を浴びて光っていたのをカメラに収める。今日月命日の故KT(伯母さん)故HK(従姉)故HM(知人の父)の供養をする。
京都から来た初老の夫婦に道案内を請われるまま石段を降りる。五台山小学校に出て橋を渡り堤防に座って朝食の握り飯を食べる。辺りは長閑な田園風景が広がっていた。間もなく二人が追い付いて来て、夫婦も休憩して今日は桂浜まで歩く積りと話していた。3人で禅師峰寺へ向かう道の途中の住宅団地を通り、ビニールハウスが立ち並ぶ先に、寺の登り口で農家の主人が庭木の手入れをしていたので、荷物を預かってもらうことにした。急な坂を登ると山門が見え、眼下の海岸には数多くのビニールハウスが晩秋の日を浴びて光っていた。
8時20分、禅師峰寺に着く。故母 故UM(伯母)故KM(元会社社長)と新仏の故ST(元同僚)を供養する。京都の夫婦とはここで別れて山を下りて、荷物を受け取る際、見事な五葉松があったのでその枝振りの見事さを褒めると、満更でもない笑顔で、
「貴方も道中気を付けてな」の声に送られて、ビニールハウスを通り抜けると、前回はここから桂浜に向かったが、今回は並行した道を渡船場に向かう狭い道を南下する。渡船場に着くと、丁度対岸から渡船が着いたばかりで、11時10分発の渡船に乗り込む。大きな荷物を背負った遍路の人から、
「北海道のKさんですか」と言われたので驚いて、「そうです」と答えると、
「Kさんのことに就いては、私も札幌の人間なので、途中で出会った遍路の人たちから、貴方は相当な健脚の持ち主と聞かされていた」
これには参った。多分神奈川のTM氏と、埼玉のMY氏、香川のMK氏の誰かと推察された。
渡船から見る坂本竜馬像のある桂浜に架かる大橋は前回渡った

船上から前回歩いて渡った浦戸湾に掛る浦戸大橋をカメラに収める。程なく対岸の船着場に着き、その方向を歩くとスーパーがあったので、ミレーのビスケットを買う。何故か四国に来ると、このビスケットが何よりの楽しみだが、メーカーは名古屋と書いてあった。雪蹊寺は直ぐだった。
11時50分、寺に着くとバスツアーの客が丁度納経を終わったところで、早速読経と焼香及び納経を終えて、向かいの高知屋に入る。他人丼を注文した後、彼に名刺を手渡し、納め札を見ると、札幌市美園に在住のTK氏と判った。
「昨年初めて遍路の旅に出て、思うところあって今年も来た。毎年大麻元町に50坪ほどの畑を借りて、野菜を作っているので折に触れて大麻に行っている」
世の中も狭いものだ。我が家から歩いて15分ほどの距離に。小一時間ほど話した後、彼が先に店を出た。
再び荷物を背負って種間寺に向かう。途中、交差点の標識を見ると、前回見たときアルファベットのaが抜けて、Tanemjiとなっていたが、今回は直っていた。トマト、キューリ、ナス等がハウスの建物の中で列をなして栽培されていた。ここで昼飯代を払ってなかったことに気が付き、我々より半日ほど遅れている筈の、MY氏に携帯で「高知屋」に立ち寄って600円払うよう携帯で伝える。間もなく仁淀川の堤防が見えて来たので堤防に沿って仁淀大橋を渡ると、川原ではテントが張ってあったのが見えた。渡り終えて直ぐ右折して堤防の上を歩く。
堤防を降りると4車線の道路に出たが、地図には掲載されていないので、困っているところに老人が来て、
「この道を真っ直ぐ行くと左側にコンビニがあるのでそこで、もう一度聞いた方が判りやすい」
 親切にも教えてくれた通り広いバイパスを進むと、たこ焼屋が店を開いていたので、寺に向かう道を聞くと、店から出てきて、道順を教えてくれた信号を右折すると、遍路石が見えて清瀧寺まで3キロとあった。高速道路の下をくぐって畑の中を進むと、寺に通じる道に差し掛かり、きつい登りが待ち受けていた。今日最後の登りとはいえ流石にこたえた。
山門が見え、4時半、清瀧寺に着く。既に辺りは日が落ち掛けて薄暗くなり、ここから見下ろす土佐市内も日が陰ってはっきり見えなかった。読経も終えた頃、TK氏が到着したので、その間観音様の洞内を手探りで周り、彼と一緒に山を下りる。
町に下りると日もすっかり落ちて、彼は昨年来たとは言いながら宿に向かう道も、この暗さでは中々判り辛かったが、何とか今夜の宿、喜久屋旅館に着いたのは5時半近かった。先客が二人の内一人は神峰寺で一緒に泊った人だった。TK氏に先に風呂に入ってもらい、その間洗濯をして荷物の整理をする。彼が風呂から上がったので、湯船に漬かりながら足を丹念に揉む。マメの痛みは大分良くなったようだ。今日も随分歩いた気がした。
女将さんは70歳を大分過ぎて感じだが、面倒見の良い女将でしつこいほど気を回してくれる。
先客を交えて4人でビールを呑みながら、遍路の話は尽きることも無いくらい楽しいひと時を過ごした後、部屋に戻り日記を付けようとしたが、急に眠気を催したので日記を止めて、今日供養した人たちの家族に宛てて葉書を書いて寝てしまった。