人生色々あるものだ

8日(14日目) 月 快晴 24℃ 24,9km(392,3km) 入れ歯を洗面器に落とす
喜久屋旅館―塚地峠―三十六番青龍寺(しょうりゅうじ)―ドライブイン大崎―須崎市民宿さざなみ 6950円
 MY氏に電話で、昨日払ってもらった高知屋の支払は、何れ会う機会があると思うので、その時支払うことを伝え、TK氏と二人で7時宿を出る。水路に沿って進み、信号を右折すると塚地峠に出る道が見えて来た。見覚えのある風景を見ながら1時間ほど緩い坂を登ると、塚地峠へ向かう県道と遍路道の分岐点に休憩所があり、TK氏とはタバコタイムのためここで別れる。自販機でお茶を仕入れ、一間ほどの広い遍路道は適当な間隔で階段はあったが割と登りやすかった。8時5分、峠にしては眺めが悪く塚地峠の標識をカメラに撮り、宇佐町に向けて道を下る。宇佐町に入る手前で70歳前後の逆打ちの遍路と会ったので立ち話をすると、今回は8度目の遍路で、初めての逆打ちと話していた。
以前通った防潮堤に出る道筋が判らないので、偶々通り掛ったバイクのおばちゃんに聞くと、
「判りずらいので私の後に就いて来るように」
言われたとおりバイクの後に就いていくが、何せバイクとは言いながら早いので、曲がり角に来るとおばちゃんは待っていてくれ、三回目の角を曲がって漸く防潮堤に出たのでお礼を述べて別れる。有り難いことだ。防潮堤を暫く歩くと、喜久屋の女将さんが出かける際、
ドライブイン大崎に荷物を預けて青龍寺を往復しなさい」
 と言われたことを思い出し、そのドライブインの二階が食堂になっていたので、
「喜久屋の女将さんから言われたが、後で昼食を食べるが、先に青龍寺に行くので荷物を預けて欲しい」
青龍寺から横浪スカイラインに通じる朱塗りの宇佐大橋

マスターも良く判っているので荷物を預け、青龍寺に向かう朱塗りの宇佐大橋を渡る。橋の
宇佐大橋からボートの航跡

上から浦ノ内湾を出入りする船が真っ青な海に白い航跡を引いて橋の下を行き来する。前回この大橋を渡り横浪スカイラインを通って須崎市に出る変化に富んだ道を歩いたとき、アップダウンの厳しい坂道と、粗いアスファルトの道路に足の裏の痛みも出て泣かされた記憶がある。橋を渡り終えて暫く海岸線に沿って歩く。大きな宿屋がある辺りから右折し、崖の下に多くの仏像が立ち並んでいるところを過ぎると青龍寺があった。巡礼巡拝のネームのあるバンの中から、30歳前後の茶髪の男が出て来て言うには、
「貴方は30人目の遍路なので、お婆ちゃんに頼まれたティッシュを受け取ってくれ」
お礼を言って受け取ると更にドリンク剤を一本呉れたので、早速目の前で飲ませえてもらって、急な石段を登るが、横浪スカイラインにある甲子園高校野球の常連校、明徳義塾の運動選手は、この石段を兎跳びして足腰を鍛えると聞いて合点がいった。横綱朝青龍の強さはここが原点なのかもしれない。本堂に着いたのは9時半を少し過ぎていた。本堂で故父親の供養をしたが、お経を読みながら親父は今頃彼の世でお袋と何をしているのかと、一人感慨に耽る。お経を終えて大師堂に向かう途中で例の茶髪の男に会うと、
「お遍路さん、貴方はこの階段をすいすい登って行ったが凄いスタミナだ、毎日何キロ位歩いているのか」
「最近は一日35キロだが、今日は貴方から貰ったチオビタドリンクの賜物だ」
彼は驚きの目で私を眺めていた。石段を下りて元来た道を歩き掛けると、彼は車に乗らないかと言ってきたが丁重に断ると、
「人から物を貰ったり、お接待は受けない方が良い」
 何故か変なことを言って走り去ったが、何となく後味の悪い一言だった。再び宇佐大橋を渡り、橋の上から湾外に出て行くモーターボートの航跡が美しいのでカメラに収める。
10時32分、荷物を預けたドライブイン大崎に入り、コーヒーを注文した後、ここから須崎市までは距離が有るので、中間の民宿さざなみに電話して予約する。間もなく神峰寺と、昨夜の喜久屋で同宿だった人と会ったので、名刺を出し、納め札を貰い香川県のYY氏と判り、彼も今夜民宿さざなみに泊ると言っていた。マスターとママに時間潰しに暫くお邪魔させていただく旨伝えて、スパゲティ−を昼飯代わりに注文する。TK氏が来ないところを見ると、ここを素通りして須崎市で泊る積りかもしれない。約2時間ほどマスターと客を相手に遍路の話や雑談をして時を過ごす。
12時半、YY氏と店を出る。浦ノ内湾に沿った穏やかな海岸線は、対岸が横浪スカイラインの山並みが屏風のように風を受ける形で湾を形作っているので、養殖や前浜の漁業で生計を立てている漁師の家の造りも、今まで歩いて来た海岸には無い立派な家が多かった。この穏やかな道を二人で歩きながら、彼に前回と今回の旅の比較や、北海道の話をすると、彼は前に勤めていた会社の仕事の関係で、小樽市に居たことから話が弾み、彼のペースに合わせてゆっくり歩くと、小さい漁師町の中に今夜の宿、民宿さざなみに着いたのは4時少し前だったが、お手伝いさん1人で女将さんは居なかった。
今夜は二人で貸切とかで二階の部屋に通される。夕食が5時からで、彼が先に洗濯すると言うので一緒に洗濯物を頼み、その間先に風呂に入るが、今日はペースを落としたので足の痛みは無かった。風呂から上がり、明日の宿を中土佐町の福屋旅館を手配した。
女将さんが帰ってきたが、左手に厚い包帯を巻いているので如何したのかと聞くと、
「先日天ぷらを揚げていた時、誤って手を鍋の中に突っ込み火傷したので、週二回高知市までバスで通院しているので遅くなって済みません」
と謝っていたが、さぞ痛かったことだろう。それにしてもバスで高知市まで通うのも大変だと思った。
夕食は漁師町だけあって魚ずくめで、それこそ揚げたての天ぷらも美味しかった。
部屋に戻り外は未だ明るいので、お互いの身の上話が出て、彼の話を聞くところによると、
「数年前家内を癌で亡くし、息子と娘が夫々独立しているが、娘が近くにいるので折に触れ娘と孫が来てくれるので、一人身の寂しさは何とか凌ぐことが出来るが、最近会社の都合により退職することになった。就職先を色々探したが年齢的(50歳代か)なこともあって中々見つけることが出来ず、思い切って遍路の旅に出て来たが、中村市まで歩いて後は電車で帰る予定だ」
 世の矛盾と不幸を背負った彼の話を聞くと、心なしか胸が熱くなってくるのを抑えることが出来なかった。彼の人間的な暖かさは話の端はしに伝わってくる。
「私は貴方のような苦痛を伴った旅ではないが、この歳になるまで多くの人の後押しがあってこそ、今の自分があるので、前回は77人の供養の旅に、今回は新たにお袋を始め弟や友人達が亡くなったりしたので、供養をする度に彼の人たちに感謝の気持ちが湧いてくる。貴方も気を落とさず必ずや貴方を守ってくれる何かがあると思って頑張りなさい。話は変わるが中村市に泊るなら是非、民宿中村に泊りなさい。今までの民宿で一番心のこもった料理を食べさせてくれる」
 久しぶりに人間同士の腹を割った話題が出て、遍路の旅も満更ではない、と心底思った。
 7時過ぎ日記を付けた後、何時もの様に歯を磨いた際、誤って左下奥の入れ歯を洗面器の流しに落としてしまったので、女将に相談したところ、
「入れ歯を取るには塩ビの管を壊さなければならないので、入れ歯を作った方がずっと安上がりに付くので残念ながら諦めて頂戴」
 暫くは不便だが諦めざるを得ないか。部屋に戻り一人考えるに、先ず靴底が剥れたことから始まって、時計のバンドが切れたり、今日の入れ歯を落としたりと縁起でもないことが三度も続いたので、歩き始めてから伸ばし始めた髭を明日剃ることにした。