今日から土佐湾と分かれて瀬戸内に向かう

14日(20日目) 日 雨後曇り 21℃ 36,7km(577,0km) 今日で土佐とお別れ
安宿―三原村―三十九番延光寺宿毛市(すくもし)BH桂月 4300円
 6時から8人揃って朝食を食べた後、6時38分、最後に宿を出たが、差し当たり雨の心配も無さそうなので、合羽は荷物の一番上に乗せて何時でも取り出せる状態にして、靴紐も昨日言われた通り下から四つ目から結んだ。
足摺岬で別れたMY氏からは連絡が無いが、彼とは6キロほどしか離れていないのでその内何処かで合流することだろう。町中の旧街道を通りその内国道321号線と合流し、川に沿って進むと水車が目印のドライブイン水車で皆に追い付いたが、皆は合羽を着込むのに一生懸命だった。
先月の台風23号で三原村役場経由の道は寸断されているので、少し遠回りだがこのドライブインから左折して真念庵経由の道を歩くことにした。先頭から二番目に出て、真念庵でお参りする積りだったが見逃してしまったので先を急ぐ。道は舗装されて歩きやすかった。間もなく雨が降り出したので農家の軒先を借りて合羽を取り出している時に、後続の人たちに先を越された。点在する農家を左右に見ながら坂道を登ると、また彼等を追い越した。ドライブイン水車から10キロほど歩いたところで、三原村役場ルートと合流するところのトンネルを抜けると、こんな山奥に、と思うような田園地帯が広がっていた。
雨も止んだので合羽を脱ぐ。この地帯は裕福なのか住宅の造りも手のこんだ家が多く、無料トイレも立派なもので、小用の後、お茶を飲んでいる時に、後から来た安宿の仲間にトイレの立派さを話すと、我先にと入って行ったのを見て思わず吹き出した。
北海道では見られない急斜面での放牧風景

田園地帯を大きく迂回して先へ進むと、右手の急斜面な崖の上に牛が放牧されているのが目に入る。前回は未だ上の方で草を食んでいたのを見て驚いたが、このような急斜面で放牧せざるを得ない状況は、北海道では考えられないことだ。更に進むと中筋川ダムが見えて来
まさに山紫水明の中筋川ダムを橋の上から俯瞰
た。橋の上から見るダムの水は緑色をして、まるで抹茶に似た色をしていた。トンネルを抜けると後は坦々と下る道を歩くだけだ。暫く携帯電話が繋がらなかったが、人家が見える辺りで漸く使えるようになったので、この調子では早く宿に着くので嶋屋をキャンセルし、宿毛市のBH桂月に変更する。
県道から左の旧道を暫く歩くと国道56号線に出る。コンビニの前を通る際、前にSH氏と二人でインスタントラーメンに湯を注いでもらい、駐車場で食べた記憶が甦る。国道を歩くと先方に「延光寺」の看板が目に入りそこを右折して寺に向う。途中お馴染みの「へんくつ屋」が見えてきたが、相変わらず雑然とした店構えで、人の気配は無かった。山門前に学生風の若者が三人居たので、
「貴方達は学生の遍路か」
「フリーターみたいなもので、野宿しながら歩いているが、金が無くなったらそれで終わりです。野宿は雨に当たると大変です」
「親も心配していることだろう、出来るだけ早く定職に就きなさい」
 とは言ってみたものの、彼等に手を貸すことも出来ないが握手して別れた。春の遍路では学校が休みということもあって、若者の野宿遍路にはよく出会ったが、今回は若者の姿は少なかったので、彼等が一層気になったのかもしれない。
 12時47分、延光寺に着く。故FT(次女義父)故ST(義父)故YS(元取引先社長)故SK(元取引先社員)の供養と、IH君(元商社員の子息)の病気治癒を本尊の薬師如来に祈願し、最後の納経を終えて、目洗い井戸で飛蚊症が治るよう井戸水で目を洗い、赤亀の像をカメラに収めて山門を出る。国道の手前で、安宿の仲間と出会ったので、嶋屋をキャンセルしたことを告げて左右に別れる。
 国道に出て食堂を探している時、向うから逆打ちの洒落たな感じの遍路に話しかけられ、「どちらから」「北海道です」
「来年ニセコにスキー仲間と行くが、この4年間毎年、スキー仲間とスイスのツェルマットに滑りに行ったが最高の雪質だった。ニセコの雪も評判が良いので今から楽しみにしている。ところで貴方は何歳ですか」
「72歳です」
「私は貴方より1歳年上だが、貴方の歩き方を見ていると若いですね」
 聞かないことまで話し出し、自己宣伝をしたかったのかも知れないが、北海道から来た、と告げると、この辺の人たちは一様に親近感を持って話しかけて来るから不思議だ。
 2時、中華料理屋が国道筋にあったので中に入る。何時もの様に小上がりに荷物を置いて、炒飯を注文する。炒飯は何処で食べても味に大差が無いことと、安い上にスープが付くケースが多い。45分ほど時間調整して食堂を出る。
 今回平等寺から薬王寺に向う折、雨が降っていた阿瀬比町の遍路休憩所で背を丸めて寝ていた老婆(76)と前回出会った場所を通り過ぎ、その先で泊った民宿あゆは休業していた。食べ物も出来合いの品を揃えた程度で、余り良い感じはしなかったが、二人とも歳を取って体力的に無理だったのかもしれない。
長身ながらゆっくりした歩幅で、傘を後に両手で持って歩く遍路に追い付いたので、挨拶を交わし、二人で遍路の話をしながら川を渡ると宿毛市内に入る。市役所前で別れてBH桂月を探すと、小さい町だけに直ぐ判った。
4時半、ビジネスホテル桂月の二階入り口の呼び鈴を押すと亭主が出て来た。先に宿料4300円を支払い、この近くの焼肉の店を探してもらったが、ご多分に漏れずこの町の中心部には良い店が無く、郊外に行けば店が多く有るらしいが、娘さんに電話で聞いて貰ったところ、一軒有ったので場所の略図を書いて貰う。湯船に湯を注いでいる間、荷物の整理をする。今日は急な坂道こそ少なかったが長い距離を歩いた感じで、風呂に入ると疲れが抜けるのが判る。また安宿の親父に教わった靴の結び方は正解で、足先の圧迫感は無くなった。親父に心の中で感謝。
焼肉屋は直ぐ判った。中に入ると客は無く、早速ビールと焼肉を注文する。商売繁盛ではないのか、高知で食べた肉とは比較にならず、まだ半分凍ったような状態には参った。それでも空腹には勝てず早速コンロの上に三種類の肉を焼く。亭主と話しているうち、北海道と知ると、
「ここは何故か北海道の厚岸出身の人が多く出稼ぎで来ているが、北海道の人は純朴で働き者が多い」
 店には時期になると出稼ぎの人がよく食べに来るようで、時には厚岸の牡蠣を送って貰ったことを嬉しそうに話していた。2時間ほど亭主と遍路の話も交えて雑談したが、その間一人の客も来なかった。
 店を出て腹が空いているので、ご飯物を食べようと食堂を探したが見当たらず、結局居酒屋に入り、銚子で酒を呑みながら、名前は忘れたが脂の乗った焼魚を食べたが旨かった。道端には当地出身の吉田茂元首相等の写真が展示されていた。
 ホテルに戻り今日供養と平癒を祈った4家族宛に葉書を書いた後、日記を付けたが、酒の酔いもあって途中眠気を催したので、明日書くことにしてベッドにもぐりこんだ。