陽光輝く宇和海の彼方は九州だが、白衣の下にオープンシャツを着込む

16日(22日目) 火 晴れ 16℃ 30,2km(637,4km) 松尾トンネル1720米
かめや旅館―柳水大師―津島町―宇和島市民宿金龍荘 5300円
 昨日玄関で撮った写真がテーブルの上にあった。女将さんも中々のハイテク女将で、デジカメで撮ったメモリー・カードをパソコンで処理してくれた。食後、女将さんに礼を述べて6時45分、半袖シャツの上に、四国に来て初めてオープンシャツを、その上に白衣を着て宿を出る。川沿いの道を歩いて間もなく、柏休憩所まで2500米の標識から左に曲がり、急な坂道の遍路道を登る。柏休憩所まで距離で500米の所にある柳水大師(H400米)を経て、そのまま平坦な道を通る途中、戦後この付近で牛の放牧をしていた内容を書いた立て札を見てこんな所に幾ら戦後とは言え驚いた。この辺は猪が良く出るところらしいので杖を手に身構えながら歩を進める。やがて下り道となり、猪に気を取られたのか以前見た清水大師の標識を見落としたらしい。国道に出るまでの間、農家が散見されたが、貧困そのものの住居生活を強いられている農家から、大規模なハウス栽培をしている農家まで千差万別だ。
9時20分、大門に出て、一旦国道を横切ってから国道に沿った道を歩く。間もなく堤防上
春のサイクリングロードに咲くこぶし、桜、椿の花々
(今日は何故か写真を撮らなかった)

のサイクリングロードに出る。春歩いた時は椿、こぶし、桜など三種類の花が咲いて目を楽しませてくれたが、今は単なる並木道に変わっていた。再び国道に出て津島大橋を渡り津島町内に入る。道筋の商店街は活気を呈していたが、春に来た時は川の両側に桜が咲いていたが今は見る影も無い。その時食べた牛丼屋を探したが見当たらないので、10時55分、松尾トンネル手前のバイキング食堂に入る。700円で食べ放題と言っても品数は少なかったが、空いた腹には何よりのボリュームだった。
時間調整して12時14分、食堂を出て間もなく松尾トンネルの入り口が見えた。このトンネルは全長1720米で、遍路にとっては一番長いトンネルで、行き交うトラックやバスに乗用車等の車から吐き出される排気ガスを、外に排出する猛烈なジェット・ファンが天井で唸り出す音は尋常ではなく、また口にハンカチを当てて辛うじて息をする状態の中を今回は20分で通過した。前回より1分早かった。ここから宇和島市に入る。
国道は緩い下り坂で右手には蒲鉾屋や土産物屋が数多く見られた。途中、左手に高速道路の工事が進んでいるのが目に入る。中々市内に入る道が見当たらないので、人に尋ねたりするが要領を得ないのはどうなっているのか。以前も同じようなことがあった。漸くスーパーや商店が密集している辺りで、宇和島市内に入る道を聞いて右手方向に歩を進めると間もなく、宇和島署が見えた。田舎道を歩くのとは違って市内を歩くのは気を使うせいか疲れること甚だしい。警察署前の自販機でアクエリアスを一気に飲み干す。地図を頼りに先ず川沿いの道を通って市立病院を目指す。
市立病院は直ぐ判り、間もなく宇和島城の付近には、昔家老が住んでいたような造りの門構えの家があった。その先を左に曲がると城が見える筈なのに、目に入らずそのまま太い道路に出た交差点で、地図を広げて、これから行く方向を調べていると、ウォーキングの恰好をした中年の人が声を掛けて、
「どちらに行くのですか、何なら一緒に行っても結構です」
「金龍荘と言う民宿に行くのだが、地図を見ているが判りずらいので困っているところです」
「金龍荘の方向なら良く行くところです、ご案内しましょう」
 願っても無い話で案内を頼み、彼もウォーキングの途中でもあり、恰好な話し相手が出来たことをむしろ歓迎しているように見えた。そこで、
「途中で宇和島市内に入る道を尋ねてもさっぱり要領を得ないのは如何してなのか、それ程大きな町でもないのに」
宇和島も城下町だけにご多分に漏れず市内の道幅は狭く、車社会の現在駐車場も少ないので、郊外に大きなスーパーやゲームセンター等の娯楽設備の殆どは宇和島以外の業者で、土地不案内はその為でしょう。今は旧宇和島市民とその他の住民の比率は半分以下に成っているのではないか、また城が本来なら立派な観光資源なのに、ここの城は平城で目立たない」
「私は宇和島と言うと先ず闘牛と、ハワイ沖で米国潜水艦に乗り上げられて、多くの宇和島水産学校の生徒が犠牲者となったこと位で、後は、宇和島藩主は仙台の伊達藩の出身と思ったが、北海道に伊達と言う町があって、明治維新後その地に伊達藩の支藩の亘藩が移り住んだところです」
 確かに高知や松山の城は市内何処からでも見ることが出来るが、前回も今回も宇和島城を見ることが出来なかった。
彼は魚釣りが好きで、仲間と良く釣りに出るが、その仲間の一人が宇和島に住み着いてしまった。それ程生活しやすい町だなど、それやこれや話しながら彼に従って歩を進め、金龍荘手前まで送ってくれた。別れ際に彼に名刺を手渡すと、
「二度目の遍路さんですか、二度とも城が判らなかったのは問題だな」
 彼は呟きながら握手して元来た道を歩いて行ったが、地元の人と話す機会は少ないので非常に参考になった。彼も、二度とも城が判らなかったとの話には考えさせられたようだ。何かの参考にでもなれば。
 3時半、二度目の金龍荘の客は、二階の向かい側の部屋に一人居るだけだ。前回の時は工事関係の人が大勢泊まっていたが。風呂に入った後、下の食堂でビールを呑みながら女将さんに、先程の宇和島の状況を話すると、景気の悪い話ばかりが飛び出した。その後、4年前来た時の話をして、お婆ちゃんに裏口からの近道を教えてもらったこと等を話したが、お婆ちゃんは別な所で生活しているとのこと。
 部屋に戻ると級友のKT君から電話が入り、故YT君の息子が7回目で親父と同じ社会労務士の資格を取ったと喜んでいた。東京の八度目の遍路経験者KK氏にメールで現状を伝えると、後から今後携帯のメールを利用して欲しいとあった。部屋に炬燵があったので何年振りかでスイッチを入れ、テーブルの上で今日一日の日記を書く。足元が暖かいので眠気を催すが何とか書き終えたのは10時近かった。