北海道ならぬ南国四国で「凍結注意」の看板には驚いた

20日(26日目) 土 快晴 20℃ 34,6km(762,6km) 遅れ馳せながら紅葉を見る
和佐路―四十五番岩屋寺―和佐路―久万高原町―三坂峠―四十六番浄瑠璃寺(じょうるりじ)―松山市珍屋 7425円
女将さん心尽くしの朝食を三人で食べながら四方山話の際、女将さんは旅事情に詳しく、来週3万円を切ったツアーで北海道に行くと話していたが、こんな寒い時期にとは思ったが、女将さん曰く、
「誰も行かない時期に行くのも旅の面白さがある」
スケジュールは松山空港から新千歳空港に飛び、支笏湖を回って、赤井川のキロロリゾートから余市のニッカ、小樽市内を見学して新千歳空港から松山空港に帰る、一泊二日29800円とは驚いた。23日と24日は客を取っていないと話していた。精算の際少し高いと思ったが、それ以上お金に変えられないものがあった。
荷物を宿に置いたまま7時5分、MY、TK氏と朝冷えのする県道を岩屋寺に向う。女将さんの話によると、遍路道より県道を通った方が時間的にも、道の勾配も緩いので楽だと聞いていたのでこのルートを歩くことにした。この地区は四国で一番冷え込むところと聞いていたが、うっかり手袋をリュックに入れたまま出てきたので、片手をズボンのポケットに入れて歩く。
四国一の寒冷地で初めて見た紅葉

県道の所々に「凍結注意」の看板を見る。TK氏と、四国に「凍結注意」とは驚きだ等話しながら、彼らは小生の早足を意識してか早いペースで歩く後に付いて行く。古岩屋荘周辺は紅葉が丁度朝日に映えて真っ盛りで、「凍結注意」の意味も判る。ミニ層雲峡の様な岩壁と共に早速カメラに収める。岩屋寺への道は一部工事中だったが、そこから少し登った先の売店を過ぎると山門があった。
8時40分、岩が覆い被さるような凹んだところに本堂が建っていた。故MM(従兄弟)の供養を済ませる。今頃叔母さんと二人で、歌棄(うたすつ)の話でもしているのかな。納経を終えて外に出ると、中年の女性が三人に飴を2個ずつ恵んでくれた。また、足に痛みが出て来たので、裸足になってサロンパスを吹き付け靴紐を緩めにする。当初一人で裏山からの遍路道を歩く予定だったが、足の事も考えて彼等に合わせて県道を折り返すことにした。
古岩屋荘近くの売店で休憩した後、民宿を目指す。女将さんの話によると、往復は早い方で3時間半で普通は4時間以上掛かると聞いていたが、我々は宿に着いたのは10時40分、休み時間を差し引くと3時間半を切ったので早い方か。玄関先に出ていたリュックから足首用のサポーターを取り出し、付け終わって玄関を出ると、女将さんの、「道中気を付けて」の声に、「女将さんも良い旅をして頂戴」と手を振って宿を出る。
大宝寺に向うトンネルを出て直ぐ左側の道の遍路道を歩くと間もなく車道に出る。暫く歩くと国道33号線の信号が見えた。右折して久万高原町の、名前の割には洒落た感じの民宿兼用の「でんこ食堂」に11時45分着いた。小上がりに席を取って三人ともカツ丼を注文した。
「Kさんには何れ追い越されるから」と二人は先に店を出て行った。
12時55分、二人に遅れること10分後食堂を出る。ここから三坂峠までは単調な国道の緩い登りが続く。先方に足早に歩く遍路の背中が見えたので、その後を追って行く。その内姿が見えなくなったが自販機の傍に、丸めた野宿用の荷物を背負った「広島氏」が居た。彼もここで会うとは思っても居なかっただけに無事を確かめ合う。改めて名刺を出すと、納め札に住所氏名を書いてくれたのを見ると、広島県YR氏(58)とあった。二人で三坂峠に向う。
思えば、遍路三日目の27日、焼山寺を越えて別れる際、
「今までぞんざいな口をきいて申し訳なかった」
この話から判断すると私を50代前半位に見ていたようだ。喜んで良いのか。
彼の話によると、
「槙の谷から岩屋寺を登り、大宝寺を逆に打って来た。相変わらず野宿をしているが、二日前、十夜ヶ橋で野宿したときは寒くて眠れなかった」
彼もお大師様と共有の場所と時間を過ごしたとは凄い。当日は雨が降った日で、昨日は寝不足もあって民宿に泊ったと話していた。
右手に遍路道があったので二人でその道を通り再び国道に出る。
2時18分、三坂峠(H710米)に着き、休憩しているとMY、TK氏が登って来た。
途中会わなかったのは彼等は遍路道を通らなかったからか。
この峠は昔は久万町から松山に、また松山から久万町にはこの峠越えしかなく難儀を極めたようだが、今は迂回するが立派な国道が通っている。
4人で峠の坂道を下る。可なり急な下りのため、MY氏は足の指を痛めたので、休憩小屋で治療することになり、YR氏は伊予健康ランドに泊るので先に小屋を発つ。彼の話によると伊予健康ランドは風呂代を払えば一晩ゆっくり出来ると話していた。色々遣り方があるものだ。
猪と狸の侵入を防ぐための電気柵が延々続いていた

三人で坂道を下る途中、周囲を猪防禦用の電気柵が張られている場所を通ったが、生半可な長さではなく、居合わせた土地の古老に話を聞くと、
「猪のほか狸も出てくるので田畑を維持するのも大変だ」
 間もなくアスファルトの道に出る。この辺りまで来ると、久万高原町とは違った愛媛の暖かさが感じられた。段々と人家が目に付くようになる。
佛足石に足を乗せてマメと突き指の治る事を祈願する
 
間もなく長珍屋の鉄筋建ての建物が見えて来たので、向かいの浄瑠璃寺に入る。丁度夕べの勤行が始まったばかりで、太鼓の音に合わせて我々も般若心経を唱和する。
 4時20分、自社のバスが2台横付けされていた長珍屋に入ると、入り口の看板に「甲松」とあった。特にバスツアーの遍路客専門の宿としてはホテル並みの豪華な設備だったが、今日は閑散としていた。案内された部屋はこじんまりして清潔だった。洗濯機に150円投入した後、風呂に入ったが湯船も広く心地良い一時を過ごす。
食事は先ず先ずだった。向かいの中年の男性の話によると、横峰寺への道は台風で通れないので、国道から十数キロ入ったところに、仮の納経所が出来たと話していた。これは貴重な情報だ。
部屋に戻り、級友のKK、AK、ANの3人と、二人の娘にメールを出す。供養した家族に宛てて葉書を書き、続いて今日一日の日記を付ける。明日は愈々松山市内に入る。