時には女性との同行二人の旅も悪くない

21日(27日目) 日 快晴 17℃ 29,9km(792,5km) ルームキーと宿泊代支払いを忘れる
珍屋―四十七番八坂寺(やさかじ)―四十八番西林寺(さいりんじ)―四十九番浄土寺―五十番繁多寺(はんたじ)―五十一番石手寺―五十二番太山寺(たいさんじ)―五十三番円明寺(えんみょうじ)―松山市民宿四国 6450円
 朝食を食べた後、MY氏は今日松山市内見物をするので別れの握手を交わす。これが最後かもしれない思いが胸をよぎる。玄関で靴を履いている時、朝食で同席した女性のUKさんが、
円明寺まで行くので是非一緒に同行願いたい」
「今日は七ヶ所の寺を回るので、納経時間だけでも2時間以上も掛かるし、私は足が速いので付いて来るのは大変だと思うが、それでも良かったらどうぞ」
「昨日のうちに八坂寺を終えているので、県道を先に進み、どこかの寺で一緒に成った時、よろしくお願いします」
昔のへんろ石は少ないが所々に有って貴重な道標だ

6時55分、彼女は急ぎ足で西林寺に向かう県道を通って行った。八坂寺で故KY(叔父)故KE(元部下の妻)二人の供養を済ませ、納経を終え山門に向かう途中でTK氏と会ったが、お先に失礼して西林寺に向う。県道を通り、重信川では河川敷ゴルフ場でセーターを着てゴルフをしていたのを見て、北海道では道南を除いてクローズしている事だろうと思いながら長い橋を渡った先に西林寺があった。
 8時25分、山門をくぐると広島のYR氏と会う。納経を終えて山門を出て、遍路標識を確認して浄土寺に向う。休日で車も少なく道の片側の簡易歩道を歩いたが、平坦地だけに足取りも軽く歩き易かった。線路を渡ると浄土寺は直ぐの所にあった。
 9時35分、繁多寺の山門をくぐるとUKさんが居た。本堂横の桜は葉が落ちて幹と枝だけの姿で、桜が満開だった前回のことを思い出し、四季の移り変わりを実感する。本堂で頭陀袋からローソクを取り出した際、長珍屋のルームキーが出てきたのには参った。級友のANから、SMが家族共々札幌に引越して、娘さんが勤めている山の手病院に入院したと聞いたので、本尊の薬師如来にSMの平癒を祈願する。納経を終えて長珍屋に電話すると、部屋代も払っていないと言われて愕然とする。今日は休みなので明日、ルームキーと一緒に宿代を送金することで納得してもらったが、UKさんも傍で、余りのそそっかしさに呆れて笑っていた。昔女性とゴルフをした際も大叩きしたことも有り、どうも女性は鬼門らしい。
 気を取り直し、若干ペースを落として二人で石手寺に向う。彼女(と言っても63歳だが)は主人に先立たれ、西宮で娘一家と同居し、娘夫婦は共稼ぎなので、普段の日は孫の世話に明け暮れているが、娘夫婦の連休等を利用して、区切り打ちを繰り返していると聞いた。息子は千葉に居るので時折千葉に遊びに行くとも言っていた。如何にも行動派タイプで、よく遠出をしているようだ。歩く姿勢もしっかりして居るので、女性と歩いている気はしなかった。途中のスーパーで日記用のノートを買う。
 10時15分、石手寺に着いたが、相変わらず人出が多く、境内は混雑を極めていた。平成元年義父とその娘たちと一緒に四国を観光した際、義父と義姉が大きな香炉の線香の煙を身体一杯に吹き付けていたのを思い出し、早速腰と足に煙を吹き付けて痛みの和らぐのを祈る。納経を済ませ、巨大な独鈷(真言宗の仏具)を背景に彼女の写真を撮り、後で送ることを約す。
道後温泉の湯は少し白濁した色で、数千年前から今も湧き出していると言う

子規の生まれた土地柄だけあって、立派な俳句会館前を通り、坊ちゃん電車のある道後温泉駅前の広場に出る。丁度からくり人形が観光客の目を引いていた。天気も良く日曜日とあって人出が多く、坊ちゃん電車の写真を撮るのも大変だった。直ぐ傍の道後温泉前の道も人で溢れ返り、人気の高さを表していた。前回の時温泉に入っているので今日は素通りする。
 食堂はどこも満員のようで駅前を避けて、進行方向にある中華料理屋に二人で入る。酢豚ランチを注文した後、トイレの場所を尋ねると、
「向かいにスーパーのダイエーがあるのでそこで済まして欲しい」
 止む無く道を挟んだ向かいのダイエーに入り、用を済ませたものの、何となく気が引けるので飴を一袋買い店に戻る。食事しながら今夜の宿を検討したが、彼女は円明寺の向かいの民宿に決めたが、私は北条市手前の民宿四国を手配する。
 12時15分、食堂を出て松山市内のコースを歩いたが、つい早足になってしまうので、UTさんは必死に歩いている様子なので、少しペースを落とす。市内を通るだけに遍路のシールを見落としがちに成るので、慎重にシールを確認しながら先へ進む。踏切を渡り無人駅のみつはま駅ホームに上がり、二人で跨線橋下のトイレで小用をしたが面白い体験をした。快晴の雲一つない空、太山寺に向けての坂道を汗を拭きふき登ると、一ノ門が見えて来た。左折し山門を過ぎて本堂までの長い距離を歩く。2時半、太山寺の国宝の大きな本堂に着く。納経を終えてUKさんから納め札を貰いここで別れる。
田園風景漂う道を歩いて間もなく、3時15分、今日7度目の円明寺に着く。納経を終えて山門に向う時、再びUKさんと会い、再度の別れを告げる。
民宿四国に向う途中、Zボイラーの三浦工業の大きな建物が目に入り、その先を港に向けて歩き、左折すると民宿四国が見えて来た。大きな名前の割には古びた建物で、勿論長珍屋には較ぶべくも無く少々ガッカリした。
4時5分、7ヶ所の寺を回った割には早めに着いたが、UKさんも今頃民宿の風呂に入って、今日は大変な人と歩いた、と一人呟きながら足を揉んでいることだろう。
お婆ちゃんの案内で二階の部屋に通されたが、外に客は無かった。洗濯機に洗い物を放り込んで風呂に入る。如何にも年寄り風の爺さんが用意した食事を終えて部屋に戻ると、川崎のKKから電話で、SMが札幌に転院したことを伝えて来たので、今日繁多寺で平癒を薬師如来に祈願したことを伝え、その後ANにも同様のことをメールで伝える。埼玉の長女のメールによると、浦和レッズが優勝したので明日のスポーツ新聞を見るよう伝えてきたが、その様な気持ちには成れないと返事を送り返す。毎日毎日読経三昧の生活を送ると、世事に疎くなり、好きなサッカーも余り興味が湧かなくなるから不思議だ。
四日振りで我が家に電話すると、昨日、町内の花壇が冬を迎えるので、役員たちと花柄を抜いたりして冬支度の準備をした際、四国遍路の話が出たので、元気に歩いていると話しをしておいたと伝えてきた。本来ならば町内会では環境担当の私の仕事なのだが遍路の旅に出たので、有料ゴミ分別収集モニター役を途中からバトンタッチした、OI、YKさんには申し訳ないと心に念じつつ、供養した家族に葉書を書いた後、7回寺を巡った今日一日の日記を新しいノートに記す。明日の宿を今治の笑福旅館を申し込む。