瀬戸大橋開通前に見た岡山県の鷲羽山からの瀬戸内の眺めも絶景だった

22日(28日目) 月 快晴 18℃ 35,6km(828,1km) 瀬戸内の風景を満喫
四国―道の駅風早の里風和里(かざはやのさとふわり)―五十四番延命寺菊間町―五十五番南光坊今治(いまばり)市笑福旅館 6500円
 3時頃から港に出入りするトラックの騒音や、昨夜遅く来た客が5時頃から廊下を歩く足音で眠れず、5時半蒲団をたたんでしまった。6時半朝食を食べ終えたので6時50分、宿を出て間もなく松山市から北条市に入り海沿いの道を北上する。
 海よりの国道を通るが手が冷たいので軍手を着用する。時折右側の線路を電車が走る。後を振り返ると松山港は朝日を受けて光っていた。
早朝の海に浮かぶ影法師?

今日も素晴らしい快晴に恵まれそうだ。左の海に目を転ずると自分の遍路姿が波間に揺れているのが見えたのでカメラに収める。近くに見える島、遠くに横たわる島々はさながら一幅の絵を見るようだ。
途中、レストランやゲームセンターが立ち並ぶ海沿いの道を過ぎ、北条市内に入ると道幅は狭く、尚且つ歩道が左右に変更するので車に気を使いながら先へ進む。早川暁脚本によるNHKドラマ「花へんろ」の舞台と、彼の生地もこの近くだ。
鎌大師への遍路コースの標識を見落とし、前回同様海岸淵の道を歩くと、8時55分、新しく出来た「道の駅風早の里風和里」に着く。アイスクリームの食券を購入する際、300円入れたが券が出ないので店員に言うと、係りの人を連れて来て自販機の中身を確認した結果、250円を投入したことが判り、自分の不明を詫び差額の50円を投入して食券が出た。
この時期の瀬戸内の暖かさと眺めを北海道の人に贈れるものなら贈りたいものだ

アイスクリームを舐めながら、木造の展望台から眺めた瀬戸内の美しさは例えようも無いほどで、遠くの島々はまるで墨絵を見ているようで、その間を船が行き来する。
10時、北条市の北外れにある浅海(あさなみ)郵便局で、昨夜泊った長珍屋へ、ルームキーと宿代を現金為替の封筒に入れた際、局員にルームキーの事を聞かれたので、事情を話すと局員も笑っていた。何時もの事ながら何とそそっかしい話だ。
巨大な鬼瓦のお出迎えを受けた先に瓦工場が軒を連ねていた

瓦の町として有名な菊間町に入ると先ず巨大な鬼瓦が出迎えてくれる。道の両側には瓦工場が軒を連ねているが、稼動している気配は余り感じられなかった。地震が多発しているので瓦の需要は減っているのだろう。
11時35分、町外れの洒落た感じの喫茶店に荷物を降ろし、牛丼を注文する。隣のテーブルに居た中年の人が、「どちらから」の問いに、「北海道から」と答えると驚いて、
「一周何キロくらいで、何時から歩いているのですか」
「一周約1200キロで、先月25日一番札所霊山寺からスタートし、今日で28日目、一日平均30キロ少々で、後10日ほどで八十八番大窪寺で結願(けちがん)の予定です」
「それは大変なことですね、無事に着くことを祈っています」
 感に堪えたような表情で何度も頷いて席を立っていった。1時間10分ほど休んで店を出る。
 国道196号線に沿った、この地方にしては大規模な太陽石油菊間製油所の緩やかな登りを歩く。菊間町を抜けると大西町に入るが、ここから今治市までの道は国道と旧道を交互に歩けど歩けど、と言った感じの単調な道が続く。途中から遥か彼方に「しまなみ海道」の鉄塔が眺められたのと、林立する造船所のクレーンが見えて来たので漸く今治市に着いたと思ったら未だ大西町だった。
 国道に出てそのまま進んで漸く今治市に入り、延命寺に着いたのは3時25分だった。故OK(義姉の夫)の供養をしながら、生前の永い交際を思い出す。今頃彼の世で気兼ねすることなくタバコを吸っているのかな。
 墓地を抜けて南光坊を目指したが、途中の遍路標識を見落してしまい、地元の人に道を尋ねたりして漸く大通りに出たが、とんだ遠回りをしてしまった。
南光坊には4時42分に着き、読経を終えて納経所に入ると、係りの人は帰り支度をしているところだった。笑福旅館の場所はこのお寺の丁度裏手だった。
 街灯が灯る5時5分、漸く宿に着いた。旅館にしてはお粗末な民宿並みの造りだった。疲れた身体を浴槽に浸すこの瞬間、何時もの事ながら何とも言えない喜びを感じる。今日は平坦な道を歩いた割には疲れが出た。今晩は三人の客と一緒に食事をすることになった。彼らは宇和島の人たちで、塗装業の親方と従業員が二人で暫く泊まり込みらしい。遍路の途中、宇和島手前の松尾トンネルを通った際の轟音や、和霊神社の話をすると、三人とも故郷の話が出て来たので俄然座が沸き返り、話に花が咲いて、彼らからVSOP?の水割りのサービスを受ける。仕事を追っての旅が続くので、親方は4人の子供が居て上の娘は中学生だが今でも一緒に風呂に入ると目尻を下げていた。外の二人もたまに家族と会うと、ついデレデレしてしまう等話していた。歳を聞かれたので、「72歳」と答えると、三人とも唖然とした顔をしていた。余程若く見られたようだ。
部屋に戻り、供養した家族宛に葉書を書き日記を付ける。終わって蒲団を敷いた際、リュックの中に湯上りタオルが無いことに気が付き、民宿四国で蒲団と一緒にタオルもたたんでしまったようだ。止む無く蒲団の襟口にタオルを掛けて寝る。