座右の銘「継続は力なり」言うは易く行うは難し、重い言葉だ

23日(29日目) 火 快晴 17℃ 33,8km(861,9km) お接待弁当タオル屋で食べる
笑福旅館―五十六番泰山寺(たいさんじ)―五十七番栄福寺―五十八番仙遊寺―五十九番国分寺―六十一番香園寺―六十二番宝珠寺(ほうじゅじ)―小松町小松ビジネス旅館 5930円
 宇和島の三人組みは6時頃に宿を出て行った。6時55分、宿を出ると朝冷えがきついので軍手を着用する。今治駅前通りを真っ直ぐ進むコースが泰山寺への道で判りやすかった。
7時43分、泰山寺に着く。境内で以前どこかであった感じの遍路と会う。故OT(友人の妻)の供養を済ませたが、一瞬で失う命のはかなさを知った。納経を終え、山門を出て栄福寺への道を進むと、先ほどの遍路が、「お先にどうぞ」の声を掛けられたので彼を追い越す。間もなく遍路道に差し掛かる。
8時25分、栄福寺に着く。
どれ程この車を引いて歩いたことか、お大師様も良い事をしてくれる

納経を終えて本堂横にあった、いざり(差別言葉だが)車をカメラに収める。足の悪い人がこの車を引いて遍路の旅の途中、この寺で足が治った由来を前に聞いたことがある。そこへ、
「間に合って良かった、毎日お四国さんに弁当を届けているが、最近は歩きの方が少なくなって来たので。全部私が作ったものですが、良かったら食べて下さい」
 お接待のお礼を述べて弁当を頂く。
泰山寺で会った遍路が見えたので、いざり車を見せてその由来を説明すると、
「良いことを教えてもらった、お大師さまも見守ってくれているのだね」
快晴で「しまなみ海道」の来島大橋の橋脚が白く並んで見える

仙遊寺へ登る道から「しまなみ海道」の橋脚の鉄塔が見える。間もなく急な遍路道に差し掛かると、上から二十歳前後の女性が降りて来たので、「野宿ですか」と声を掛けると、「そうです」と返事があったので、「気を付けなさい」と言葉を掛けたが、若い女性の野宿は問題だが。
山門からの登りは一層きつくなる。以前70名山近くを登ったSTさんと一緒に登りながら、高さこそ低いが急な登りだけに、
「山登りしているからこの程度だが、しない人は大変だな」
 その言葉を思い出しながら、喘ぎ喘ぎ登ると視界が開けてきた。大勢のバスツアーの人たちがお経を上げていたが、何故か白々しい響きが耳に聞こえる。
東京のKKさん曰く、「歩いてこそ遍路」
一気に山を下り、田園風景が広がる町を通り抜けると伊予の国分寺があった。
11時7分、国分寺に着いた。先ほどのバスかは知らないが、数台駐車していた。本堂,大師堂前にはツアーの人が例の通りお経を上げていた。
納経の際、横峰寺遍路道の状態を聞いたところ、けんもほろろに、「何も聞いていない」の一言だった。
門前のタオル屋に向かうと、若旦那(34歳)が小さいタオルを差し出したので、4年前来た時生憎店は休みだったことを話すと、
「それは申し訳なかった。タオルを進呈するので、座右の銘と色を教えてもらえないか」
「それでは『継続は力なり』を、色は青色で書いて欲しい」
 彼は店の中に入り間もなく出てきたので、
「庭先で申し訳ないが、お接待の弁当を貰ったのでここで食べても良いか」
「どうぞ遠慮なく使って下さい」
 テーブルに弁当を広げて食べていると、彼は店内からタオルを持ってきたのを見ると、タオルに、
ゴルフの汗拭きに使っているが、その度に彼の笑顔を思い出す
青色で「継続は力なり」が刺繍されていた。先ほどのカチャカチャの音はパソコンに連動してタオルに印字している音だった。
「これは有難い物を頂いた、大事に使わせて頂きます。ところで横峰寺への遍路道の状況が判らないので何か聞いてないか」
「電話で聞いて上げるから少し待って下さい」
店の中で電話しているようだった。
「宝珠寺から国道を右折する車道を通って行くのが唯一の道で、ダムの傍の京屋温泉からの道は荒れているが歩いて通れる」
 貴重な話を聞いて感謝に堪えなかった。この情報で今までの不安が一掃された。
 記念に彼の写真を撮り、カメラを彼に渡して弁当を食べているポーズを撮ってもらった。別れ際に名刺を差し出すと、彼も名刺をくれたので、後日帰ったら写真をメールで送ることを約す。
 彼と握手を交わして店を出たが、タオル屋のお接待は何物にも変え難いひと時だった。
 国道196号線目指して線路に並行した道路を歩く先に、国道の信号が見えて来た。緩やかな登りの途中に、記憶にある伊予桜井漆器会館を左手に見て、1時、右手に「道の駅湯ノ浦」があったので、椅子に座って車の流れを見ていると、傍に居た中年のおばさんが「ミカンをどうぞ」と、差し出したので早速頂いたミカンを食べると、甘い味が口の中一杯に広がってきた。小用を果たし再び国道を進む。右手の踏切を渡ると横峰寺に通じる遍路道だが、今回は登ることが出来ないので国道を直進する。単調な歩みに疲れが出て来たので、左手の洒落た喫茶店に入る。大洲でコーヒーを飲んで以来の本格コーヒーを注文する序に、若い女性の店員に香園寺に行く道を尋ねると、紙に道順を書きながら、
「前の国道を真っ直ぐ進み、二手に分かれるところを右方向へ歩くと国道11号線に出るが、その先は近所の人に聞くと直ぐ判る」
 親切に教えてくれたので飲むコーヒーも旨かった。
 東予市の繁華街を通り過ぎて両側の田園地帯を通ると、稲穂に自分の遍路姿が夕日を浴びて影絵のように動いている様子を、午前中見た瀬戸内の波間に浮かぶ姿と重ね合わしてカメラに収める。
やがて二股に差し掛かり右方向を進むと、大きな橋に出る。欄干にもたれて何気なく上を見ると、遥か彼方に四国の霊山「石槌山」が見えたのでこれもカメラに収める。国道11号線で信号待ちの人に寺を尋ねると、真っ直ぐ進むと子安観音の香園寺があると教えてくれた。
 4時15分、美術館風の鉄筋コンクリート造りの香園寺に着いた。正面から広角で写真を撮り、時間が無いので納経を済ませて直ぐ宝珠寺に向う。
4時45分、国道に沿った宝珠寺に着いた頃は日も暮れ掛って、何とか納経所の締め切りに間に合った。横峰寺への遍路道の状態を聞くと、信号を右に真っ直ぐ行くとお寺に着くような話し振りだった。
どこの寺の人も何故か官僚的な物言いには呆れるばかりだ。何様だと思っているのか。
 5時5分、小松ビジネス旅館は直ぐ判った。二階に通されて荷物を出してから、洗濯機に洗物を入れた。後から来た夫婦が風呂のことを聞いて来たので、お先にどうぞ、と伝える。
 荷物を整理してから階下に下りて洗濯機を見ると既に洗い終わっていたので、部屋のハンガーに吊るしていると、電話で風呂が空いたことを伝えてきた。
 食事の時、先ほどの夫婦が話し掛けてきたので、先月25日から遍路の旅を続けていることを話すと、この夫婦は九州の人で家内に合わせたゆっくりペースで歩いているが、貴方のように通し打ちの遍路に会わない、と言っていた。
 女将さんに横峰寺への時間と道の状態を聞くと、
横峰寺へは早い人で往復7時間から8時間掛かるが、所々台風で崩れたところがあるので気を付けて下さい。また、ダムに沿った仮納経所まではそれよりも時間は掛らない」
 序に昼食用の握り飯を注文する。
 部屋に戻り供養した家族宛てに葉書を書き、今日一日の日記を書いたが瀬戸内の風景が暫く頭から離れなかった。蒲団に入ってから明日の横峰寺へ向う山道の状況を考えながら眠りに就く。