昨日タオル屋で聞いた横峰寺への情報が支えになった

24日(30日目) 水 晴れ後薄曇 18℃ 34,8km(896,7km) 横峰寺へ車道歩く
小松ビジネス旅館―六十三番吉祥寺(きちじょうじ)―六十番横峰寺―星ノ森―六十番横峰寺―京屋旅館―六十四番前神寺(まえがみじ)―伊予西条市BHさぬきや 4000円
 朝食の時、昨日の夫婦の姿が見えなかったので先に出かけたようだ。握り飯をリュックに詰めて6時50分、旅館を出て宝珠寺に向う。
7時10分、一番乗りの本堂で、故KT(嫂)故KT、故AK(何れも級友の父)を供養する。納経の際、横峰寺への道筋を聞くと、車道を通ると行けることを確認して、7時20分、信号二つ目を右折して石槌山ロープウエイに通じる県道に入る。間もなく高速道路の下を通り道は段々急になる。所々に台風で崩落した崖崩れの痛々しい跡が目に入る。車道では小型車が何台も追い越して行く。上から久し振りに香川県のMK氏が降りて来るのに出会う。
「Kさんと今ここで会うとは。もう大分先に行っていると思っていたが」
高知市で一日観光したので」
彼の話を聞くと、昨日横峰寺に行き、京屋旅館に泊ったとのこと。序に道路の状況を聞くと、
「車道は小型車が何とか通れる程度だが、歩くには数箇所危険な箇所がある程度で問題は無い」
 別れ際彼に、カンロ飴を差し出し、お互いの無事を祈って握手して別れたが、彼とは確か高知市手前の国分寺以来の再会だったが、彼は二度目の今回は雲辺寺で結願するので、これで二度と会うことが無いと思ったので後ろを振り返ると、例の黒っぽい菅笠を被り、特徴のある両肩を軽く左右に振って右手に杖を手にした恰好で坂を下って行った。
 道幅が急に狭くなってきたところを抜けると、ダムに通じる広い道に出た。
左に歩くと仮納経所に行くが、右に曲がって間もなく8時20分、京屋旅館に着いた。
上からの鉄砲水は下へと一気に流れ落ちた凄まじさ

休まずそのまま車道を歩いたが、崩落箇所が随所に見られ、恐る恐る下を覗くと足がすくんでしまう様な恐怖に襲われた。その上は上から鉄砲水で運ばれてきた倒木が至るところに散乱して、台風23号の被害の大きさが判った。ダムに目を転じると台風があったなど想像つかない静寂が辺りを支配していた。
 何箇所か車道の補修工事で重機を使っている数人の人たちを除いて、人の気配は全く感じられなかった。その間小型車は何台かすれ違ったが、危険な箇所も随所にあるので慎重運転に徹しているようだ。
 上から人が降りて来る気配がしたので、良く見ると、昨日仙遊寺で会った女性の遍路で、
「昨日野宿ですか」の問いに、「え、そうです」そっけない言葉を残して急ぎ足で坂を下って行ったが、夕べは何処に泊ったことやら、朝は寒かった筈。
 つづら折りの急な坂道の上を見ると、一人の遍路がゆっくりした足取りで登っていたので、「どちらから」の問いに、「岐阜ですが、疲れました」との答えが返ってきた。彼を追い越して少し平坦な尾根に出た先に、前回香園寺に下りた遍路道があったが、今は閉鎖されていた。
 標高745米の横峰寺に着いたのは10時5分だった。吉祥寺から片道3時間で着いたことになる。納経所に若い坊さんが居たので、遍路道の改修に就いて聞いたところ、当分見込みが無いとのことだった。境内では5人ほどの工事関係者が、一部破損した建物の補修に小型重機を使って作業をしていた。汗が引くと共に寒さが襲ってきたので、白衣の上からウインドブレーカーを着込んで、500米先の星ノ森に向う
四国の霊山「石槌山」は修験道場の山として立山、白山と並び称される

10時35分、星ノ森に着いた。ここは弘法大師を始め役の小角(えんのおずぬ)の修行の場として古来から有名で、前回登った際、下を覗くと真っ暗闇の谷底の向うに、快晴の空に春先の雪を被った石槌山の壁を見て、余りの神々しさに足の震えが止まらず、やっとの思いで鉄の鳥居(200年前建立)に捕まったことを思い出す。今日は残念ながら雪も無く、天気も良くなかったが、石槌山の黒々とした山容を包むように、点々と小さな雲が壁とその上の空に張り付いたように浮かんでいた。MY氏には、是非星ノ森から石槌山を見るよう話したが、明日の天気も余り期待できないようだ。下り道で岐阜の男と会ったが、
「曇り空で残念ながら薄ぼんやりた石槌山しか見えないが、見る価値は有りますよ」
「そうですか、それは残念だな」
 彼も期待していたらしい様子だった。10時50分、山門をカメラに収めた後、裏口から元来た道を下る。途中で泰山寺であった遍路とすれ違ったので、
「この先の道は問題ないが、後1時間ほど掛かるので頑張って下さい。出来れば星ノ森まで寺から500米ほど先だが、見るだけの価値は有りますよ」
 一応励ましたが、可なり疲れた様子だった。下り道が急なので足の指先に痛みが出て来たので、足先に負担を掛けない様、踵に重点を置く感じで慎重に下る。工事現場の人に、
「今日は何人ほどの遍路が通ったか」
「今まで8人ほどだが、普段は一人か二人かな、今日は何故か多い」
 確かに私を含めて8人だったが、良く数えていたものだ。
 京屋旅館に着いたのは、12時10分だった。歩き遍路は多少距離的に長くても横峰寺を目指すが、バスツアーはダムに沿った仮納経所まで行くので、この旅館が中継地点となる。座敷に上がり、うどんを注文する。バスツアーの客は食事を済ませて出て行ったばかりだった。昨夜の夫婦連れも店を出るところで、
「山に登らず、仮納経所で済ませたが、途中の谷間の紅葉は素晴らしかった」
と話していた。うどんをお汁替わりに宿のお握りを食べる。何時も通り時間調節に1時間弱費やし、1時京屋旅館を出る。
下り道で足先に負担を掛けない様若干ペースを落とす。高速道路の下を通り、右側の前神寺に向かう道に出て、また高速道路の下を通り直して前神寺に向う。この付近の農家は割りと裕福な造りの家が多く、手入れの行き届いた庭木や五葉松の門構えも中々の出来映えのものがあった。
干し柿を吊るした情景は道産子には憧れの的だ

また珍しく軒下に干し柿を吊るしているのが目に入り、丁度初老の主人が車で帰って来たので、
「北海道の者だが先ず干し柿を吊るす風情は見る機会が無いので、是非写真に撮らせて欲しい」
「北海道からかそれは大変だな、ゆっくり撮りなさい、昔は何処でも柿を吊っていたものだが、最近はミカンが主力となったので殆ど見ることが無い」
 何処の世界でも構造変化が起きている様だ。前神寺までの道は思ったより長かったが、見覚えのある石槌神社の大鳥居が目に入ってきた。前神寺の石の門柱の前で、当時雑誌記者に、是非遍路のモデルになって欲しいと頼まれて、歩き出したものの、緊張の余り左足と左手を同時に出して、雑誌記者に笑われて撮り直したことが思い出され一人苦笑する。その時撮りそこなった山門らしくない山門をカメラに収める。
 2時35分、前神寺に着く。納経を済ませた後、湯之谷温泉を横目に見ながら進むと国道11号線に出る。そのまま直進し、加茂川橋を渡り、二つ目の信号を左に曲がって、伊予西条駅横の踏切を渡ると間もなく、今夜の宿、ビジネスホテルさぬきやに着いたのは4時丁度だった。
 洗濯機に洗い物を放り込んで風呂に入る。風呂で疲れた足を揉んだ後、指先を見ると爪が剥れかかっていたので、念の為テーピングする。主人に西条市内の焼肉店を教えてもらう。洗濯物を部屋に吊るして、商店街の明かりが灯る道を通り、文化センターの直ぐ傍の焼肉店に出かける。6時にしては客は私だけだった。ここも不景気なのかな。
早速大ジョッキーを呑みながら何時もの様に、ロースにタンと上ミノを焼いて口に運ぶ瞬間は何とも言えない。酒も一本熱燗を頼んだので、上ミノを追加する。その後、キムチと若布スープに熱いご飯を食べたら極楽世界に浸った感じだった。この程度のことならお大師様も大目に見てくれるだろう。精算すると3300円は先ず先ずか。
 ホテルの戻り、供養した3人の家族に宛てて葉書を書き、今日一日の日記を付けたが、海抜ゼロからの800米の星ノ森に登った35キロは価があった。