遍路日和にしては宿を間違えたり、可笑しなことが起きた一日だった

25日(31日目) 木 快晴 18℃ 35,3km(932,0km) 予約しない旅館に泊る
BHさぬきや―新居浜市―番外霊場延明寺―伊予三島市江之元屋 5400円(2軒分)
 朝目覚めると6時25分、急いで支度をして7時宿を出る。未だ明けやらぬ踏切を渡って、国道11号線に出る。朝飯を食べていないのでビスケットを口に入れる。車が増えだした車道脇の歩道を歩くが、幅が狭いところが多く、向うから来る人がいるとお互い譲り合って新居浜市を目指す。途中で松下寿電子工場前を通ったが、一部閉鎖する工場もあると新聞で見たが、この工場はどうなるのか。暫く進むと今治方面への道と交差する歩道橋を渡ると、ビジネス旅館小松で同宿した夫婦連れが反対側の歩道を歩いているのが目に入り、お互い杖を振って挨拶を交わす。食堂を探したが中々見付ける事が出来なかったが、漸く喫茶店があったので、モーニングセットを注文する。20分ほど掛けて食べ終えて夫婦連れを追った。
新居浜市の旧街道に入り漸く奥さんが先導する形で歩く姿が視界に入った。追い付いたところで改めて自分の名刺と納め札を交換し、福岡県KH夫妻と判った。奥さんは小柄だが体力があって、主人と同じ大きさのリュックを背負い、
「主人も仕事を離れたので、夫婦で何かを、と歩き遍路の旅に出たが、朝早く出ることを信条にしているので、何時も朝ご飯はお握りで済ますようにして今朝は6時宿を出た。ところで貴方は随分足が速いがお歳は幾つですか」
 72歳と答えると二人は唖然とした顔をして、
「主人は62歳なので似たような歳と思っていたが72歳とは」
今日で三度目の出会いだが、今後二度と会うことが無いと思うと、これも一期一会の世界か。別れの挨拶を交わして先を急ぐ。暫く歩いてから後ろを振り向くと、遥か遅れて二人の姿があった。
やがて長いアーケードが続く喜光地商店街を歩くと、魚屋で見たことがない平べったくて細長い魚があったのでカメラに収めながら、
太刀魚は小骨が多く味も淡白で、魚は北海道に限る

「私は北海道のもので、こんな魚は見たことがないが魚の名前は何と言うのか」
「これはタチとも太刀魚とも言う。あれは鰆(さわら)と言う」
 他所の土地を回ると得体の知れない変な魚に出会うことがあるがこれも勉強になる。
 商店街を抜けて間もなく異臭が漂ってきたので、何かと思いながら先を見ると、便所の汲み取りをしているところで、見た目には灯油を運ぶ車に似て、タンクの上部の脱臭管?からの白い煙が出ていた。タンクはステンレス製で、臭いがなかったら灯油を運ぶタンクローリーと間違える。その家の奥さんに話を聞くと、
「この地区は水洗が普及していないので、今でも一回約3000円払って運んで貰うが、今は家族数が少ないので年に3回か、精々4回程度」
「北海道では田舎は別にして水洗が普及しているので汲み取りするのを見たことがない」
「四国は貧乏だから。北海道は良いなー」
昔は何処の家でも汲み取りする時は、茶殻や香を焚いて臭い消しをしていたことを思い出す。
再び国道に出て峠に向う登り坂が工事中で渋滞していた。右側を見ると収穫の終わって棚田が階段状に遠くまで連なっていたが、煙が遠くに見えたのは収穫後の籾殻でも焼いているのか。
峠(H159米)を越えるとまた旧道に入る。旧土井町で今は「四国中央市」と言う、何の変哲もない可笑しな名前に変わっていた。
 懐かしい関川小学校が見えて来た。前回は樹齢100年近い染井吉野が枝に花もたわわに付けて満開の状態で私を迎えてくれたが、今は葉もすっかり落ちて枝が透けて見えた。この先会うことも無い桜の老木に触れて別れを惜しんだ。同時にあの時、桜にまつわる話をしてくれた、この小学校の大先輩で、当時80歳の古老は元気なのかと。
 国道を横切って再度踏切を渡ると、番外霊場延明寺があった。ここはお大師様お手植えの松に触れて足の悪い人が治ったことで、「いざり松」の名で知られる霊場である。お参りした後、12時20分、伊予土居駅前の大衆食堂に入り一先ず荷物を降ろす。
既に二人の先客があって大きなコップで焼酎の水割りを呑んでいた。そこへ青いジャンパーを着た中年の女性が見えて、これも焼酎の水割りを注文する。場が何となく白ける感じだった。これはとんだところへ来たとの嫌な予感が走る。また一人男の客が来て同じく焼酎の水割りを注文して呑みだした。女将といっても、70代の薄汚れた婆さんだが、注文を聞いたので、定食を注文する。
定食の中身はお粗末な小さな見たことも無いような魚の煮物と、お汁に漬物だけだったが、朝パンを食べたきりで腹が空いているので、何とか腹に収める。その内、前から来ている客の一人が、
お四国さん、どちらからお越しですか」
「北海道からです」
 すると客の4人が一斉に、「北海道!」
「これは珍しい、今頃雪が降っているんでしょう、今日で何日目ですか」
「先月の25日からで、今日で丁度31日目ですが、実は2度目の遍路です」
町村外相も北海道出身で、将来の総理大臣候補間違いなしだ」
「私は札幌の東隣の江別市と言うところに住んでいるが、そこは町村さんの選挙地盤で、彼のお爺さんは北海道酪農の父と言われている一人です」
 これを境に店の雰囲気が変わり、話に花が咲いた。その内、一番先に声を掛けてきた客がしつこく酒の酔いも手伝って、北海道の人口は500万人程度か、鈴木宗男は今如何しているのか、とか何故か北海道のことに詳しいので適当に話を合わせていると、中年の女性が突如ビール瓶を手に持ってその客の頭を殴りかけたので、思わず女将と別の客が後からその女性の瓶を取り上げたので、事なきを得たが、とんだ事になったものだと思ったら、別の客が後ろ向きの女性の頭を指差して、頭の横を手の指を開くまねをしたので初めて彼女の病気が判った次第で、若しまともにビール瓶が当たったら大変なことに成った筈だ。彼女は私が苛められていると思い、それを阻止するため殴りかかったものらしい。
 その内絡んだ男は知らぬ間に店を出て行ったので、私も出て行く準備をしていると、最後に来た客が、
「ウーロン茶で大したことは出来ないが、これも何かの縁でお接待します、ところで貴方の歳は幾つですか」
「逆に貴方たちから見て何歳くらいに見えますか」
 女将は60歳かな、一人の男はいや未だ若い57か、いや60歳位か等と三人で話していたので、免許証を見せながら、
「昭和7年生まれの72歳です」
 三人は信じられない顔をしていたのが印象に残った。1時15分、店で売っていたウーロン茶を2本有り難く頂戴して店を出た。
四国では年齢のことを尋ねられる度に、驚かれるのを見るのも悪くは無いが、確かに頭髪は歳の割には黒く、それ程禿げ上がっていないので、荷物を背負って平地を歩く姿を見ると、70代には見えないようだ。老けて見られるより良いか。
春の椿と秋の山茶花の花は我々道産子には見分けが付かない

伊予三島に向う道は国道に沿った旧街道は所々に小さな町がある程度で、旧家の塀際には山茶花の花が咲き、庭には手入れの行き届いた、黒松や五葉松等の枝振りも見事な庭木を見ながら歩くのも目の保養になる。この地区は裕福な感じがする家々が多く見受けられた。
天気も良く風も無く車も少ない旧道を歩くと心が浮き立つ気分になる。伊予三島に近付くにつれて、煙突から真っ直ぐ登る水蒸気や煙を出している大王製紙の工場が見えてきた。市内に入るとこの工場の城下町らしく、紙を加工する工場が目に入る。遍路道を外れて三島市内に入る道を通り、駅横の踏切を渡ると今夜の宿、江之元屋は直ぐだった。
3時40分、玄関の戸を開けて声を掛けても誰も出て来ないので、荷物を玄関の空いた場所に置いて、髪の毛も伸びて来たので床屋に行くことにして外に出る。
近くのアーケードのある商店街は生憎休日だったが、床屋だけは開いていたので入ったが客は居なかった。久し振りにゆったりした椅子に座り、2ヶ月振りで鋏を入れてもらう。一通りの髭剃りと洗髪を終えると、マッサージ機で肩から腰に掛けて丹念に揉んでくれた。サービスも良かったが、何時もの倍以上の値段も良かった。
宿に戻ると女将さんが玄関の外を掃いていた。案内された部屋に荷物を運んで、先ず洗濯機に洗物を入れてから、建物の割には立派な風呂に入り、何時もの様に足を揉んだが、足も漸く靴に馴染んできたのか痛みは無かったのは何よりだった。
部屋に戻ると、テーブルの上にコーヒーと大福に梨が皿に盛ってあったので、随分気の効いた扱いをするものだと感心しながら食べる。何時まで経っても食事の呼び出しが無いので、階下に下りて、カーテンを開けると其処は台所で、所構わず食べ物やら衣類やらが雑然としていたので慌ててカーテンを閉じて居間に入り、皿を返して女将さんに食事の具合を聞くと、
「お客さんの泊る話は聞いてない、今日は二人泊るだけの分しか用意してないので、食事は外でお願いします。ただ明日の朝食は用意します」
 ここで初めて別の民宿に予約したことが判った。道理で女将の様子が可笑しい訳だ。止む無く部屋に戻り、予約した民宿大成荘に電話すると、
「貴方に電話したが通じなかったので、やきもきして居たところで、今何処に居るのか」
「実は間違って別の民宿に泊ることになったので、明日お宅に伺って宿泊代を弁償するので今日のところは勘弁して欲しい、明日朝7時過ぎには間違いなく伺います」
 電話ながら平謝りして、夜の街に出かけたが、商店街は休日で店が開いているところがなく、漸く横丁に中華料理屋があったので其処に入り、先ずはビールを注文し、ビールのつまみにシュウマイを頼むと、驚いた事に冷凍庫からカチンカチンのシュウマイを取り出して、チンしたのを皿に盛って来たのには参った。腹も空いたので無難な炒飯を頼むと、これも袋のままチンしたのを、袋から出して皿に盛って来たのにはまたまた驚いた。早々に精算して店を出たが、今日は憑いてない一日だった。
 部屋に戻り前回の旅で半月ほど一緒に歩いた、静岡のSH氏に暫く振りに電話して、目下遍路の真っ最中と伝えると、
「自転車に乗って側溝に落ち神経の麻痺で、2年間ほど入院して最近退院した」
 道理で年賀状を送っても返信が無い訳を初めて判り愕然とした。彼も私からの年賀状は気にはしていたが其れ所ではなかったとのこと。彼に薬師如来に病気の平癒を祈願すると伝えた。
 とにかく今日一日思わぬことばかりが続出したことを日記に記すが、書くことの多い一日だった。この二三日何故かルームキーを返さなかったり、宿代を払わなかったり、今日は今日で宿を間違えたりして、我ながら困った男だ。これで良く何十年も大過なく過ごして来たものだ。
明日は愈々三角寺から雲辺寺に掛けての強行軍が待っている。