500米と900米の山越えの33キロは古稀を過ぎた身にはこたえる

26日(32日目) 金 晴れ後曇り 19℃ 33,0km(965,0km) 讃岐(香川)入り
江之元屋―六十五番三角寺―番外霊場椿堂―民宿岡田―六十六番雲辺寺―六十七番大興寺山本町民宿おおひら 6500円
朝ご飯はあの台所で料理したのかと思うと食欲も湧かないが、今更食べない訳には行かないので何とか食べ終える。精算した後、7時、玄関で女将さんが、
「昨夜は失礼したので、この袋を持って行って下さい」
 重そうなので中身を見ると、ミカン3個と握り飯にコーヒー缶が入っていたので、
「荷物が重くなるので申し訳ないがミカンだけ頂きます、女将さんのご好意は痛いほど判るが、我々歩き遍路にとっては、荷物が増えることは一番の苦痛ですので、何とかお願いします」
 固辞するのに大変だったが、ミカン1個だけ頂いて玄関を出た。女将さんの必死の願いを断ったことに就いて、胸中忸怩たるものがあったが、きっと判ってくれるものと思う。
 宿を出て踏切を渡ると、合併後の「四国中央市」の役所の前を通り、昨夜泊らなかった民宿大成荘の玄関をあけると、女将さんと旦那が顔を出したので、昨夜間違って泊った事に就いて詫びを入れ、補償に就いて如何程と伺うと、
「貴方は悪意で他所に泊ったことではないが、家も其れなりにお金も掛ったことでもあり、二千円頂戴したい」
 財布から二千円を出して、宿の夫婦に改めてお詫びをして玄関を出た。
 国道を突っ切ってそのまま緩やかな坂を登る。宅地造成地の中を通ったが、前回見た時と同様空き地が見受けられた。高速道路を通り抜けて直ぐ左に曲がり、遍路道に入ったが遠回りのコースを通ったようで、偶々ウォーキングしていた初老の人に道を尋ねると、立派な建設会社の社長宅まで案内してくれた。礼を述べて暫く登ると二股道に出たので、思案しているところに、「右方向」の声が下から聞こえてきたので下の方を見ると、先程の人が後から付いて来たらしく、思わず杖を振って感謝の意を伝えて右方向の道を登った。有り難い事だ。
もや掛った瀬戸内をバックに煙は真っ直ぐ天を指す

ここからの登りはきつく、暫くコンクリート遍路道を登ると車道に出たので、三島市大王製紙工場の煙突から煙か水蒸気が真っ直ぐ上に立ち上っているのが見えたのでカメラに収める。間もなく8時25分、標高500米の三角寺に着いた。
 山門にある鐘を撞いて境内に入ると、広島のYR氏が居た。これで5度目の再会だ。彼は何故か雲辺寺に向けて急いで寺を出て行った。前回この寺が丁度一ヶ月目で、鐘楼の鐘を撞いて供養した人たちの顔を思い出し、涙が止まらなかったことを思い出し感無量の気持ちになる、あれから4年半。
納経を終えて、雲辺寺へ向かう道は緩く長い下り道が続く。10時7分、400米下りたところに新しく建て替えられた椿堂で、水を飲んで喉の渇きを抑える。間もなく国道に出ると、今度は逆に緩い登りが境目トンネルまで坦々と続く。
境目トンネルを過ぎると一旦徳島県に入る。緩い道を下る途中、11時半、水車のある食堂に入り小上がりに荷物を置き靴下を脱いで天ぷら丼を注文する。順調に行くと今頃星ノ森に居る頃と思い、MY氏に電話したが通じなかった。何時もならこの時間帯はゆっくり休養に当てるのだが、今日は雲辺寺越えが待っているので25分後食堂を出る。
食堂を出て間もなく民宿岡田に着いたので、主人を探したが留守なので、玄関横の電話機のメモに、「会えなくて残念だったが、これから雲辺寺に向う」とのメモを残して玄関を出る。前回泊った折、私が供養した家族に宛てて葉書を書いている姿を見た後、納経帖に供養している故人の名前が書いているのを見て、岡田さんは。
「貴方は良いことをしている、このような納経帖を見たのは初めてだ」
 と感に堪えたような言い方をしていたが、後で人から聞いた話によると、前年奥さんを亡くしたので、一層感じ入ったようだ。
民宿岡田を出て間もなく、道路が一部決壊して車が通れない部分に気を付けて進む。高速道路の下を通って、愈々標高900米の雲辺寺を目指して急峻な遍路道を登る。途中幾度か息を整えてまた登ること数度で、鉄塔のある台地に着く。ここまで来ると後は緩やかな登りの約3キロの道程は意外に長かった。
八十八ヶ所最高点雲辺寺の五百羅漢像は表情豊かに迎えてくれる
1時50分、八十八ヶ所の寺の頂点、標高910米の雲辺寺に着く。流石この高所ではウインドブレーカーが必要だ。何時もの通り焼香、読経の後、納経所で押印して貰う。ここから先は讃岐の国香川県に入る。裏門からロープウェイに行く途中にある、五百羅漢像をカメラに収めて、大興寺に向けて、急な下り坂を膝の負担を抑えながら慎重に下る。半ば下った辺りで、休憩している広島のYR氏と6度目の出会いだ。彼は登りには強いが、慎重に下るので追い付くことになる。彼の話によると、二日野宿して次は宿に泊るペースらしく、今日は下の大師堂に泊る予定とのこと、夜食は如何するのか聞いたところ、
「キャラメルとチョコレートがあるので何とか成る」
 これを聞いて参った。毎日、風呂に入った後、不味いながらも民宿の食事を腹一杯食べる歩き遍路も居れば、野宿三昧の遍路もあって、島倉千代子ではないがまさに「遍路も色々」だ。途中の畑では玉葱を並べた状態のまま植えてあるのには驚いたが、後から土を掛けるのかな。所変われば遣り方も色々有るものだ。
彼は大師堂を探すので部落の中に入っていった。この辺からの道は緩やかな下り道が続き、5時間の予定が4時間少々で大興寺に着いたのは4時20分だった。
 納経の後、大師堂横から裏手にある民宿おおひらに入ったのは4時35分だった。民宿としては松山市珍屋以来の鉄筋コンクリートの建物だった。
 食堂には大きな鏡があって、ホテルの宴会場の雰囲気がある。客は女性遍路とマイカー遍路夫妻で共に区切り打ちと一緒になり、歩き遍路に就いて一日何キロほど歩くのかと聞かれたので、
「この一週間は毎日平均35キロ前後を歩いているが、特に今日は500米と900米の山を二つ登っての33キロはきつかった。八十八ヶ所全部周っての一日平均は31キロかな」
 三人とも次元の違う話の感じで聞いていたようだ。
 家内からの電話によると、従姉が亡くなったと知らせて来たので、明日大興寺薬師如来に供養することにした。埼玉の長女に4日頃埼玉に行く予定とメールで伝える。
 今日は疲れたので日記を書くのも億劫だが、眠気覚ましにガムを噛みながら何とか書き終えた。明日の宿はお大師様誕生の地、善通寺市の山本屋旅館を予約する。