弘法大師空海誕生の地、善通寺の大伽藍は存在感大だ

27日(33日目) 土 晴れ後快晴 16℃ 32,7km(997,7km) 弘法大師空海誕生の地善通寺市
おおひら―大興寺―六十八番神恵院(じんねいん)―六十九番観音寺―七十番本山寺―七十一番弥谷寺(いやだにじ)―七十二番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)―七十三番曼荼羅寺(まんだらじ)―七十四番甲山寺(こうやまじ)―七十五番善通寺(ぜんつうじ)―善通寺市山本屋本館 7455円
 朝食を食べてからお互いの紹介の折、マイカー遍路夫妻は、広島県呉の元海上保安庁OBで、
「36年勤務した後、第二の職場で出張の序に、夫婦で数日間の逆打ち車の旅をしているが、自分たちが車で回るのに引き換え、貴方の様に歩きの旅は昨夜の話を聞いて、凄い方と一緒に成ったのは生涯忘れない良い思い出に、記念に写真を撮らせて頂きたい。後で送ります」
 玄関前でカメラに収めて頂いたが、くすぐったい褒め言葉に返事のしようが無かった。
 7時、夫婦に送られて大興寺に向かい故MFの供養と、SH氏の平癒を本尊薬師如来に祈願する。寺を出て暫く歩いていると、背後から軽いクラクションが鳴ったので振り返ると、先ほどの呉の奥さんが運転して、
「話の通り随分歩くの早いですね、道中気を付けて下さい」
走り去る車に手を振って別れを告げる。間もなく国道377号線に出たので、直ぐ右折してビニールハウスが並ぶ田園地帯を通る。この付近の農家は割りと裕福なのか、家の構えも其れなりに立派で、瀬戸内の気候と関係有るのかもしれない。
観音寺市に入り間もなく川を渡ると琴弾(ことだま)八幡宮が見えて来たが、前回の時は桜の時期で境内は花見客で賑わっていたが、今朝は落葉が散乱して、かっての華やかさは影を潜め秋の深まりを感じた。
8時45分、神恵院と観音寺は同じ境内にあって参拝するには効率が良かった。本堂に登る階段を上がると、上から髭を生やした人相風体の芳しからざる初老の男が下りて来て、一瞬目が合ったが余りよい気持ちはしなかった。納経の後、階段を降りるとその男は居なかったので何となくホッとした。
堤防を歩きながら望む五重塔の水煙は、遠く法隆寺を思い出す

財田川の堤防に沿って本山寺に向う。前回道を間違えて大回りしたところでも有るので、地図を見ながら堤防上の道を通ると、本山寺五重塔の先端の水煙が見えて来た。
本山寺山門前で托鉢している遍路が居たので、何気なく相手の顔を見ると、先ほど階段ですれ違ったあの男だった。彼も一瞬驚いたらしいが何食わぬ顔をして手に椀を持っていた。内子町の民宿で、香川県に入ると大阪釜が崎辺りからの流れ者が、遍路に身をやつして托鉢や接待を受けている事を聞いていたので、多分彼もその類の者だろう。
10時8分、本山寺の山門をくぐると、四国では数少ない国宝の本堂があった。納経の後、懐かしい五重塔等をカメラに収める。山門を出ると間もなく国道11号線に出てそのまま直進し弥谷寺に向う。
香川県は高山が少ないためか元々雨が少ない土地だが、特にこの周辺は大小様々な溜池が点在する。向うから逆打ち風の遍路に出会ったので話し掛けると、
「この輪袈裟(首から下げるもの)に高野山と書き込まれているのだけが、托鉢を許されているので、それ以外の托鉢は無法者で、特に大阪の連中には気を付けた方が良い」
 前歯が2本欠けた顔で聞きもしない事を言い出したので、適当にあいずちを打って別れたが、何故托鉢の話が出てきたのか、先ほど山門で出会った托鉢の事もあって、不思議なこともあるものだ。
 11時10分、昼飯には少し早いが、国道筋にある食堂でカレーライスを食べ、今日は今まで最も多い9ヶ所の寺を回るので30分後食堂を出る。
 国道から別れた道を進むと弥谷寺へ向う登り道に出ると、昨夜同宿した女性遍路が暑いのでシャツを一枚脱いでいるところに出会った。お先に、と挨拶を交わして寺に向う。弥谷寺に向う道はきつく、階段も長く急で一段一段息を弾ませながら登る。
1時45分、ここの本堂は靴を脱いでお参りする唯一の寺で、読経の後、前回大師堂に参拝するのを忘れたので、また急な階段を登って読経を済ませて、本堂前に戻ると、先ほど出会った女性に会い、立ち話の際、バスと電車を利用して旅を続けていると話していた。初めは大学生くらいに思っていたが、30代とのこと、判らないものの一つは女性の歳だ。何があって30代の女性の一人旅を続けているのか、窺い知ることは出来ないが、何かの重みを背負っての旅なのだろう。
仏像の中でも観音様は一番心が安らむのは何故か

階段を降りたところにある観音様に手を合わせた後、ここから遍路道の途中に竹薮の葉が落ちたクッションの良い道を通り、出釈迦寺に向う。溜池を遊園地にした観光池を通り軽い登り道で、3時5分、出釈迦寺を先にお参りする。時間があればこの先にある捨身ヶ嶽禅定を登る予定だったが、1時間半ほど掛かると言われて時間的に不可能と判り諦めて曼荼羅寺に向う。
3時25分、曼荼羅寺の境内で広島のYR氏と7度目の再会を果たし、お互い良く会うものだと言いながら別れて甲山寺に向う。
4時5分、甲山寺に着く。この寺はこじんまりした寺で、良く見ないと判らない位目立たない寺だ。
今日最後9度目の寺、弘法大師空海誕生の地、善通寺に着いたのは4時40分、辺りは既に日が落ちて薄暗かったので、急いで広い境内の両側にある、本堂と大師堂を参拝して納経を終えたのは、5時丁度だった。
5時15分、今夜の宿、山本屋本館は赤門の傍にあったが、薄暗かったので探すのに手間が掛った。
女将さんに言われて洗濯物を手渡し、風呂に入るとYR氏が洗濯をしていたが、彼は金が無いので食事はしないと言っていたので、それが洗濯の差のようだ。彼の部厚い胸を見てこれなら二晩や三晩の野宿に堪えられると納得が行った。
部屋に戻ると級友のAKから、頑張っているな、と激励の電話を受ける。日記を付けながら今日一日9ヶ所の寺を回って忙しかったが、毎日毎日色々の出来事があるものと感心する。 明日の宿を国分寺の民宿あずさに決める。