水に浸かった崇徳上皇の遺体を白峰寺へどの様に運んだのか

29日(35日目) 月 快晴 17℃ 32,6km(1058,5km) 根香寺の紅葉は絶景
あずさ―一本松県道―八十一番白峰寺(しろみねじ)―八十二番根香寺(ねごろじ)―八十三番一宮寺(いちのみやじ)―高松市BHかすが 4700円
 階下から食事が運ばれてきたので食べた後、6時50分、薄明かりの国道に出て間もなく右折し、白峰寺方向の山に向かって歩く。流石冷え込みがきつく軍手を取り出す。清水建設の子会社の前を通り緩やかな坂を登る。墓所の手前から急な登りとなり、別名「遍路ころがし」と言っているが、十一番藤井寺からの「遍路ころがし」とは比べようも無いくらい楽だ。最後の階段を上がると、宿から1時間で一本松県道(H380米)に出た。
県道を左方向に少し歩くと遍路道に入る。やがて自衛隊の建物の脇を進んで、19丁石の地点の白峰寺根香寺の分岐点に着くと、広島のYR氏のリュックが置いてあった。進行方向に急な坂道を登ると、「根香寺まで1,7km」の標識があったので、間違ったことに気が付いて元来た道を下って、19丁石まで戻り、白峰寺に向けて歩くと、初老の品の良い遍路が見えたので、どちらから来たのかを尋ねると、「社会保険健康センターから来た」と話していた。岩がゴロゴロした道を下ると白峰寺(H280米)があった。
8時55分、山門をくぐると本堂は階段を上がったところにあった。白峰寺は昨日お参りした高照院に一時安置された、崇徳上皇の遺体をこの白峰寺に葬り奥には御陵が有る。納経を終えて再び19丁石に向かう途中、背後に人の気配を感じたので、振り向くと中年の遍路が追い越して来たので道を譲る。見ると、可なりの健脚のようだった。
古人はこの丁石を頼りに寺に向かったことだろう

道には丁石が所々にあって、昔の遍路の道標に設置した苦労を知ることが出来る。根香寺の駐車場には大型バスが3台と多数のマイカーが駐車していた。
境内には多くの紅葉狩に混じってカメラマンも被写体を写していた

10時15分、前回修復中だった山門(H365米)も出来上がったのを見てカメラに収める。今まで見たことが無いほどの、赤や黄色に彩られた紅葉が頭上に映える。北海道の紅葉とは違い、葉が小さく、繊細な色調は例えようも無いほど強烈に脳裏に焼きつく。この寺は紅葉の名所だけあって多くの参拝者が本堂前で手を合わせ、バスツアーの人たちは先達の読経に合わせてお経を上げていた。YR氏は既に納経を終えて寺を出て行った。写真を撮るにもメモリーカードが少なくなっているので慎重に紅葉を写す。
前回、この付近で泊るところが無いので、禅宗の寺「禅喝破道場」に大阪府のTT氏と泊ったが、室内に入った途端強烈な異臭が漂い、食事も精進料理、と言っても宿坊で食べるような品ではなく、最後に茶碗にお湯を入れて沢庵で洗った茶碗の湯を飲むのを見て、胸具合が悪くなったことや、押入れから出した煎餅蒲団は湿っぽかったばかりか、敷布団も殆ど綿も無く薄くて背中が痛んで何度も起きては身体を反転し、まどろみながら何時しか寝込んだ。
早朝の勤行で座禅を組まされ、坊さん見習いを含めた5人が、お経を詠み、太鼓を叩き、ドラを鳴らしながら法悦の境地になったシーンは強烈な印象を我ら二人に残した。宿泊料はお接待だったが、「禅喝破道場」の修行は貴重な体験だった。
30分後山門を出て、車道を通り鬼無村に向けての緩やかな下り道を進む。途中から可なり急な道を下るとYR氏と会った。彼は膝が悪いのか慎重に下りの道を下りていたので追い付いた。何十万円もするような盆栽用の松や庭木が多数植えられている道の両側は目の保養になる。鬼無駅の踏切を渡り、4車線の立派な県道176号線を進む。
彼はコンビニで買い物をするので別れた後、高松市内の高速檀紙IC付近の交差点にある軽食堂に12時25分入る。
 定食を注文し主人の手が空いた頃を見計らって、一宮寺への道筋を教えてもらったので、名刺を差し出すと、
「北海道からですか。今日まで何日目で、聞いて良いかな、幾ら位費用が掛るのかな」
「今日で35日目、明後日には八十八番大窪寺で結願し、一番霊山寺にお礼参りをする予定です。費用は飛行機代込みで50万円弱です」
「北海道だから飛行機代も含めると、成る程な、結構掛るものだな」
 コーヒーを注文し、砂糖とミルクをカップに注いで、じっくり香りと味を楽しむ。
 1時15分、店を出て、教えられたように二つ目の信号を左折して、各所にあったスーパーマルナカの本社前を通って橋を渡り、歩道橋手前の道を右折して進むと一宮寺があった。
 2時10分、境内に入るとYR氏も入ってきた。納経を終えて彼と別れて門を出た時、前回、道を間違って全く反対の法然寺に行った事を思い出し、地図と現在地を慎重に照合して、遍路シールを見てからその方向に歩を進めた。確認のため買い物袋を下げた主婦に道を尋ねると、この道は狭いので並行している一本向うの国道193号線で、4車線の道を薦められたので、その道に出ると車は多いが歩道が広いので安全だった。国道を真っ直ぐ進み高速道路下の横断歩道橋から屋島の平坦な山容が目に入ってきた。「カメラのキムラ」で64MBのコンパクトフラッシュを買う。巨大なスーパー「ゆめタウン高松」の店内に入り、郵便局でお金を下ろし、国道11号線に出る道を、4人に尋ねたが満足な答えが来なかったので、玄関から真っ直ぐの道を出ると、何のことは無いその国道11号線に出た。近くに住んでいて何故こんなことが判らないのか全く理解に苦しむ。遍路姿に違和感を感じたせいかな。
 国道11号線は車の流れも多く、両側のビルは四国の他の都市より高層ビルが多く、高松は流石四国の玄関口だけあった。栗林(りつりん)公園前を通ると先方に独特なスタイルのYR氏の背中が見えてきた。近寄って今晩の宿を聞くと、114銀行本店傍のサウナに入ると言っていた。間もなく本店が目に入って来たのでその角で彼と別れて、屋島への交通標識を見て右折して暫く進むが、何となく可笑しいと気が付き、信号待ちの人に尋ねると、これは旧国道で、屋島へは遠回りになるので、向こう側の道を左に曲がって進みなさいと言われて、慌てて向こう側の道を渡る。ここから国道11号線に出るのに、人に尋ねながら何とか出ることが出来た。
問題は今夜の宿だが、出来るだけ屋島に近い方が良いと思い、先へ進み春日川の橋を渡ると、「BHかすが」の看板があったので、国道を右折して200米ほど入ったところのビジネスホテルに着いたのは丁度暗くなり掛けた5時だった。マスターに朝食を頼む。
客は数人程度らしい。風呂に入って今日一日の汗を流して、上がってから近くの焼肉店を聞くと、国道に面した「大門」が美味しいと教えてもらう。早速大門に出かけて大ジョッキーを傾けながら、何時もの3点セットの焼肉を食べ、スープにキムチで温かいご飯を食べると気持ちもすっきりした。
部屋に戻り、明日の八十八ヶ所巡り最後の宿を長尾寺傍の「ながお路」を手配する。何時もの様に日記を付け、明日の予定を地図を見ながら調べた後、蒲団に潜り込み、残る後二日の無事を念じつつ眠りに就いた。