屋島の合戦が諸行無常、盛者必衰の壇ノ浦への前哨戦だった

30日(36日目) 火 快晴後曇り 16℃ 23,0km(1081,5km) 愈々明日結願
かすが―八十四番屋島寺―山田屋うどん―八十五番八栗寺(やくりじ)―八十六番志度寺―八十七番長尾寺―さぬき市長尾町ながお路 7400円
 7時からの朝食を終えて7時半、ホテルを出て国道11号線に出る。朝早い割には車の流れは多い。
高松のシンボルで屋島山頂からの眺めも良い

橋の上から屋島を写すが、地元の人が、アフリカ南端のケープタウン近くのテーブルマウンテンと並び評価する意味も判る気がするほど平らな山だ。橋を渡ると間もなく左折して琴電の踏切を渡る。YR氏が先を歩いていたので追い付く。アスファルトの道が途切れると、コンクリートの石畳の急な坂道が続く。彼は朝食を食べてないのか、疲れたようで差が開く。上から降りてくる人が、もう直ぐです、と励ましてくれ、
「私は毎日のように屋島にお参りしているが、何時来ても屋島は素晴らしい」
手放しで褒めていた。標高284米だが毎日とは大変なことだ。漸く山頂に達すると屋島寺の山門が見える。
 8時20分、立派な山門をくぐる。納経は一番だった。前回ここで大阪のTT氏と握手して別れた場所だが、彼もYR氏同様会えば別れ、別れれば会うといった不思議な存在だった。次の八栗寺に向かうので廃業した甚五郎ホテルの傍から、屋島の合戦場を上からカメラで撮ったが、今は護岸工事のためコンクリートで固められた浜辺も、かっては源平合戦で、那須与一が海中で馬に跨り、平家の女官の頭に付けた扇の的を射とめた逸話は誰知らぬものがない
正面の五剣山の下が屋島の合戦場で栄枯盛衰も今は昔語り

ほど有名な話だ。ここから急な遍路道を下るが、遍路道が途切れた途端、コンクリート舗装の道が急な下りとなって、止まるにも止まらないほど勢いが付き、膝に違和感を感じたので、道をジグザグするような形で何とか下りた。途中義経の身代わりとなって矢を受けて死んだ佐藤継信の墓に手を合わせる。彼はスーパーで買い物するとかでここで別れる。また佐藤継信の遺体を、洲崎寺の門の戸板で運んだと伝えられる洲崎寺を訪ねたが、当然新しい門扉に変えられていた。案内を乞うと返事がなかったので手を合わせて寺を立ち去った。
 10時10分、武家屋敷風な造りの山田うどんに着く。讃岐うどんを34個我が家に送る手続きを終えた後、
前回この先の高柳旅館で明日結願と喜んで、酒を呑み過ぎたばかりに、八栗寺の納経代が足りないのに気が付き、この旅館に戻り、主人に千円貸して欲しい旨伝えると、
「自分勝手に酒を呑んで、何で今更金を貸せとは、7キロほどの志度町に郵便局があるから、そこで下ろしたら」
けんもほろろに断られたので、己の不明を詫びて玄関を出て、このうどん屋のOY氏から一時借りた千円のお礼を言おうと、帳場の人に彼のことを尋ねると、
「退社して自分でうどん屋をしているが、会う機会があるのでこの事に就いては伝えておきます」
帳場の人に名刺を渡して、宜しく伝えて欲しいと頼んで山田うどんを出た。
前述の高柳旅館の前を前回の非礼を詫び頭を下げて通る。貴重な体験だった。八栗寺への登りはコンクリートの急な登りが続き一汗かいた。
10時50分、八栗寺に着く。バスツアーの遍路が読経していた。納経の際、寺からさつま芋のお接待を受ける。志度寺に向かう道は車道を通るが、途中から急な坂道で、昨日違和感を感じた左膝に負担が掛らない様慎重に下りたが、それでも何となく重い感じがした。牟礼町に着いてから琴電とJRに挟まれた国道に出る。久し振りに港が見えた。12時30分、市内に入り天ぷらの看板を見たので、たまに天ぷらでも食べようと店に入り天ぷら定食を注文する。小上がりに荷物を降ろして地図を出して長尾寺への道を確認する。久し振りに本物?の天ぷらを味わう。小1時間ほど時間調整をして店を出る。
1時半、志度寺に着いた。山門の大きな草鞋は今も両側に垂れ下がっていた。志度町は江戸末期のカラクリ名人として名を馳せた、平賀源内生誕の地でもある。この寺の五重塔も見事なものだ。納経を終えて長尾寺に向かう途中、郵便局でお金を降ろした際、前述のOY氏にここから借りた千円とお礼の千円を加えて送金した事を思い出す。
県道3号線を只進むだけの単調な緩やかな登りが続く。左手の高台には前回開発中だった団地造成もほぼ終わって、住宅メーカーの幟が風にはためいていた。オレンジタウンの新駅も出来ているようだ。今でも疑問に思うのは、こんなと言ったら失礼だが、高松に通う人のための団地と思うが、今でも売れ残りの土地が目に付く。他人事ながらこの団地が完売するには相当時間が掛かると思われるが。
県道から旧道に出て暫く進むと長尾町に入る。この町は市町村合併で「さぬき市」になったが、4年半の間に四国のあちこちで合併が進んで、我々他国の人間には馴染まない変な名前が多い。
3時10分、八十七番長尾寺に着いた。納経を終えて山門を出ると、直ぐ隣に今夜の宿、民宿ながお路が道を挟んで両側にあった。
3時35分、新しい建物に案内され二階に荷物を降ろした。感じの良い部屋の造りだった。主人に薬屋を聞いてところ、スーパーナカムラに行くと大体の物が手に入ると教えてもらったので、早速出かけ、二度の下りで左膝に違和感を感じたので膝当てのサポーターを買う。
今晩は貸切のようだ。昨日の分と合わせて洗物を洗濯機に放り込む。風呂も綺麗で愈々明日結願と思うと、何時もより丁寧に身体を洗う。
 料理は夫婦の共作で、心のこもった品々に感謝感謝。明日は結願の前祝に、今宵は財布にお金もあるのでビールのほか銚子を1本追加する。
私が北海道と判ると、この夫婦は旅行好きで、特に北海道には目が無いようだ。道内の観光地は襟裳岬を除いて殆ど足を伸ばしている感じで詳しいのには驚いた。北海道の良いところはと聞くと、
「先ず人、これは四国を初め全国から集まっているのと関係があるのか、親切で大らかな所が大好きだ。次は土地の広さ。道路にしても、畑にしても四国では考えられない。それに四季がはっきりしていること。四国は四季の移り変わりにメリハリが無いが、北海道はその点春夏秋冬を味わえ、冬の北海道も素晴らしかったし雪祭りには感動した」
 くすぐったくなる程の褒め言葉はお世辞でも何でもない本物だ。
部屋に戻ったのは9時近かった。日記を書いている内眠気を催してきたので、半分ほど残して蒲団に潜り込む。明日愈々結願だ。