大窪寺で読経の際、一期一会の世界が万感こもごも胸に去来した

12月
1日 (37日目) 水 快晴 17℃ 15,1km(1096,6km) 11時25分結願
ながお路―へんろ資料館―重要文化財細川家―八十八番大窪寺 
大窪寺東かがわ市白鳥温泉 9,4km(1106,0km) 7490円
 朝目覚め、カーテンを開けるとまだ暗かったので、また蒲団に入り直しうとうと眠り、時計を見ると6時半だったので急いで蒲団を出る。食堂で女将さんに今夜の宿を何処が良いかと聞いたところ、切端寺経由なら坂本屋だが、と言ったので、
「坂本屋は前回泊った際、干からびた天ぷらに生ぬるいビールとお汁のほか、浴衣は出さないと言われたので、この宿には絶対泊らないと誓ったので、このルートは歩かない」
「それでは白鳥温泉に泊って、大坂峠経由の道が良い」
 精算をお願いすると少し高かったが値段以上の心使いは何より有り難かった。白鳥温泉を予約する。
 7時10分、宿を出て曲がり角で後ろを振り向くと、女将さんが見送ってくれているのが目に入り、杖を振って感謝の気持ちを伝える。ここからの路はほぼ真っ直ぐで迷うことも無い。前回昼食にうどんを食べた入谷製麺は既に店を開いていた。町を出ると県道に沿った旧道を通る。左手に川を見ながら緩い登り路が続く。間もなく前山ダムに着く。前回はダムの堰堤を渡って、女体山経由で大窪寺に向かったが、今回は途中の岩崩れが酷いと聞いたので、堰堤を渡らず車道を進むと、「へんろ資料館」の建物があった。
8時10分、少し早いので入れないと思ったところ、ドアが開いていたので中に入ると、女性の職員がいたので、開館は9時と聞いていたが、と聞くと、最近はお遍路さんからの要望もあって8時から開けるようにしている、と話していた。
館内は過去の遍路の歴史や資料が順序良く展示されて非常に勉強になった。職員にこの先の道路の状態を聞くと、ダム堰堤を渡り女体山越えのルートに較べると車道ルートの方は3キロ長いが、時間的には殆ど変わらないと言っていた。後で入館証書を送るとのこと、住所氏名を紙にメモして渡す。9時、へんろ館を出て車道を通るが、この道は何処に通じるかは知らないがダンプが良く通る。
建物は山を背に風を防いでいるが、冬は寒かったろう

途中重要文化財の細川家の案内標識があったので、左折して田舎道を歩くと、茅葺の屋根と土壁の住居があった。300年前の建物で、国の重要文化財に指定されている。中に入ると土間には昔から使われていた生活用具や農機具等が展示されていた。中を見ていると、ボランティアのお婆ちゃんが見えて、パンフレットを差し出しながら説明してくれた。一番驚いたのは居間に直径3センチほどの竹を敷き詰め、その上に厚手の筵を敷いただけの床だった。夏は涼しいだろうが、囲炉裏一つで冬の寒さはどのようにして凌いだのだろうか。現代人には想像できないが、300年続いていたことは間違いなく、現在の細川家の人は別なところで生活しているとのこと。家の傍に直径50センチほどの梨の大木があるが、実は硬くて不味いと言っていた。
お礼を述べて車道に出る道を通る。小学校手前の角を曲がって大窪寺に通じる車道を通ると、大窪寺まで4キロと表示があった。この付近にしては立派な旅館竹屋敷が見えてきた。そこからは車道に沿った旧道を歩くと間もなく、道端に「ごぼう」の様な物が並べてあったので、農家の人に聞くと、自然薯(じねんじょ)で大きいのは5センチほどの太さで、細いのは来年植付けると言っていた。間もなく正面に女体山(標高702米)が見えてきた。今考えると良く登って来たと思うほど急峻な山容を見せていた。寺まで後700米の表示を見て進むと、突然大窪寺の「医王山」と額が掛っている山門が目に飛び込んだ。前回は裏側の女体山から寺に入ったのでこの山門はくぐらなかった。
前回同様不動明王を背に二度目の結願、顔も大分こけた様だ

11時25分、二度目の大窪寺での結願だが、前回同様胸に去来するものを打ち払うことは出来なかった。境内の紅葉は盛りを過ぎていた。相変わらずバスツアーの読経の響きがこだましていた。最後の焼香と読経の後、納経帖に押印し、今日の日付けを書いてもらう。納経を終えて本堂前で、何枚か写真を撮った後、参拝に来ていた夫婦連れの奥さんに、事情を話してカメラのシャッターを押してもらい、挨拶代わりに名刺を手渡すと、
「北海道から来たのですか、良い記念になりました」
 夫婦と握手して別れた。階段を降りると、二十二番平等寺の山門前で会った先達見習い中の若者に話しかけると、彼も思い出して手を取って結願を喜んでくれた。小銭が600円あったのでお椀に入れると、彼は何か呪文のようなものを唱えてくれた。彼の案内で門前にある「前田屋」に入り、彼の勧めで鍋焼きうどんを注文する。
 先達見習いの彼に地図を見せながら白鳥温泉のルートを聞くと、トンネルを抜けて右に曲がるとイチョウの木があるのでそこを左に真っ直ぐ進むと白鳥温泉に着くと言っていた。彼に近況を聞くと、
「この前焼山寺へのへんろ転がしは3時間(私は4時間半)で登り、一日の托鉢は平均すると5千円ほどで、昨日は寒かったので民宿に素泊まりで4千円払ったので今日は大変だ、親父は相変わらずバスツアーの先達をしているので会う機会は余り無いが、これからはツアーも少ないので近く会う積りだ。食堂で食べると高いものに付くので、コンビニやお接待の物を食べたりしていたので、栄養失調で倒れたので食事には気を付けている」
 等々話してくれた。今後二度と会うことは無い先達見習いにお互い無事である事を祈って握手して東西に別れた。
1時5分、前回は菅笠を寺に置いて、杖だけを手にして帰ったが、今回は菅笠を頭に被り杖を手に白鳥温泉に向けて緩やかな下り道を進み、二股道を左に曲がると間もなく、五明トンネルを通る。トンネルを抜けて右に曲がると、樹齢600年と言われる大きなイチョウの黄色の葉が陽に当たって輝いていた角を左に曲がる。道幅が狭くなり途中2ヵ所、台風23号の影響で通行不能の立て看板がぶら下がっていた遍路路らしき道があった。時折車が通るくらいで人の気配は全く感じられないので、歩くペースも結願を終えたこともあって速くなる。視界が開けて畑が目に入ると、老夫婦がみかんを接待してくれたので有り難く頂戴する。
八十八番大窪寺を終え安堵して湯に浸かる

3時10分、山の中の温泉にしては立派な鉄筋コンクリート造りの白鳥温泉の建物が目に入った。明日の出発は早いので先に精算する。
部屋に案内されたが中の造りも立派なもので、暖房も効いて久し振りに温泉ホテル風な雰囲気に浸る。
温泉は11月10日の佐賀温泉以来で、透明の湯は少し熱めだったが源泉100%の表示があった。無事結願を終えた感慨を抱きながら心ゆくまで誰も居ない浴槽に浸る。温泉に入ると何故か、日本人に生まれた幸せを噛み締めるが、遍路を終えての温泉はまた格別なものがあり、世の幸せを一人締めしている錯覚に陥る。「何て俺は幸せなんだ」と。
この10日ほど足の痛みも無く知らぬ内に傷口も塞がってきたが、痕跡だけは見た目は歴然として痛々しかった。1100キロを支えてくれた両方の足を丹念に揉みながら、タオルに刺繍して貰った、座右の銘「継続は力なり」を一人呟く。
食堂での夕食は何時ものビールのほか、銚子を一本追加して、相手も無く一人寂しく結願を祝う。食事を終えて帳場に、6時に出るので朝食代わりに握り飯を注文し、呑み代と一緒に精算する。
部屋に戻り、埼玉のMY氏に電話で、今日結願した旨を伝えたところ、今夜はTK氏と志度町の民宿に泊っているが、明日は結願予定と話していた。札幌のTK氏の電話番号を聞いて彼に電話で、明日は大坂峠越えで霊山寺に行く話をすると彼は驚いていた。昨日の残りの分も含めて今日までの日記を付ける。明日は霊山寺付近の民宿に泊るか、場合によっては徳島まで行くことも可能なので宿の手配はしなかった。明日はお礼参りの一番札所霊山寺までの約30キロ、最後の歩きだ。