今日は東海道の名物、鞠子のとろろ汁と安倍川餅を食べた

10日(8日目) 金 22度 快晴後曇り 府中宿 鞠子(まりこ)宿 岡部宿
                     24,1粁(189,0粁) 
                     旅館きくや(7,800円)
 朝食を食べた後、宿の主人に、次郎長の生家の道順を書いてもらったが、信号の多さから判断すると結構長い感じがした。7時35分、朝日を浴びながら宿を出る。
 柳宮通りを一路次郎長の生家に向かって歩いたが、二つ目の踏切に捕まったが直ぐバーが上がった、通学や通勤の人たちとすれ違うが、皆急ぎ足に踏切を渡っていた。予想したとおり次郎長の生家は遠かったが、今更戻る訳にも行かず宿を出て25分掛った。右手に大きな寺が見えた。
往復5粁掛けて来たが、小さな生家とは目と鼻の先に大きな寺に次郎長が葬られているが次郎長様々だ 

 左に曲がるとその狭い路地の奥に、次郎長の生家があった。平屋の小さな家だった。朝早いので玄関は閉まっていたので引き返し、良く見ると先ほどの寺が次郎長の菩提寺だ。次郎長の墓を見に来る人が多いのか、大きな駐車場があり、寺は鉄筋コンクリートの立派な造りだった。この寺も次郎長の恩恵を受けているようだ。次郎長様々だ。
 寺の門をくぐると、墓地入り口に、8時半開門とあったので止む無く諦めて、入り口手前にあった、清水次郎長の墓の案内標識が削られているのをカメラに撮る。
江尻宿(清水港は昔から活気がみなぎる)

 元来た道を引き返し二つの踏切もそれぞれ閉じる寸前に通過し、8時35分、往復1時間(約5粁)を要して旧東海道に出る。銀座街全体が江尻宿だったらしいが本陣跡は判らなかった。
 橋を渡ると真っ直ぐな道路になる。歩くに従い汗ばんで来たので、通り掛りの温度計を見ると14度を指していたので、オープンシャツの腕をまくり半袖姿で歩く。
 左手に草薙神社の鳥居が見えてきた。日本武尊が敵に火を付けられ危ないところを、剣で草を薙げて難を逃れた古事から神社が出来たようだ。草薙駅前から旧東海道に入り閑静な住宅街の中に、百坪程度ながら静岡に来て初めての茶畑を見た。
 高速道路の下をくぐると正面に大きな球場が見えてきた。中に入ると、ベーブ・ルースと沢村投手の銅像が有った。ベーブ・ルースルー・ゲーリッグ等の名立たる大リーグの選手に投げ勝ったのを記念して建てられたもので、沢村投手(第二次世界大戦で戦死)の偉業は、プロ野球投手に与えられる最高の名誉の証である沢村賞になったことでも判る。
 球場を出ると、ソフトバンクが有ったので、メールによるグループ送信の手順を教わった。通り道に有ったコンビニで暑いのでお茶を買う。
 東静岡駅脇の跨線橋を渡り右手に富士山が見えたので、多分これが最後の富士山と思い薄い靄掛ったが富士にシャッターを切る。渡り終えると国道1号線に出てから、また旧東海道を通り、東海道本線を二度くぐって、再び旧東海道に出た。間もなく久能山東照宮にでる道路を横切ると、静岡市内の繁華街に出た。
府中宿(安倍川の渡しの情景かな) 

 府中宿(静岡市)に着いたのは11時半だった。本陣跡の傍に、西郷隆盛山岡鉄舟の会見碑が見えてきた。両者の会見があって、後に勝海舟西郷隆盛江戸城明け渡しの道筋が出来た重要な会見だった。
 市内は県庁所在地だけあって、建物も道路も歩道も綺麗で歩きやすかった。丁度昼時でこの陽気に誘われて、多くのサラリーマンや若い人が歩道に溢れていた。
 商店街も洒落た感じの店が多く目に付き、デジカメ用のコンパクトフラッシュを買う積りで、カメラ店に入ったが512MBが無かったので、店の主人に聞くと、駅裏のビックカメラに有ると聞いたが、遠いので買うのを諦めた。
 昼時を過ぎたので、通り掛りの食堂でトンカツ定食を食べ、安倍川への道順を聞く。
 映画館街の右を曲がると、カトリック教会があったのでそこを左に曲がり、タクシー会社に安倍川の道筋を聞くと、待ってましたとばかり運転手らしき人が聞きもしないのに、
「この教会の場所は元梅屋と言って、1651年、軍学者由比正雪が、諸国の浪人と呼応して、徳川幕府転覆を企て、四ヶ所(ここと、久能山、江戸、日光)で一斉に蜂起する計画が幕府側に漏れて、ここに泊っていた仲間20人ほどが切り殺され、由比正雪はここで自刃し、この先の安倍川手前で曝し首にされ、由比正雪一族三代全員が殺された。未だ話すことはあるが、貴方も忙しいだろうからこの辺で止めておく」
と貰った名刺を見ると、「郷土史研究」と書いてあった。詳しいはずだ。
「道理で由比宿では由比正雪のことや、関係する資料が無かったので、不思議に思っていたのは、町としては触れたくない事件だったとのことか」
「その通り、序だがこの通りに面して、わさび漬けの元祖の店があるので、良い土産と話の種に成り、曝し首の現場は今は公園になって、その向いに安倍川餅の元祖の店がある」
 元祖が二つ出てくるところ等、至れり尽くせりの話好きな人だったが得るところがあった。
日本のわさび漬の元祖はここだ 

 元祖わさび漬本舗「田尻屋」は直ぐその先にあった。店に入ると正面に大きな樽に「元祖田尻屋」と書いてあり、奥では大勢の人が袋詰めに精を出していた。番頭風の人に、一つ幾らかと聞くと、500円とのこと、15個を宅急便で発送手配し、端数はサービスしてもらい九千円支払う。
 安倍川橋に向かって真っ直ぐな道を歩くと公園に差し掛かる。由比正雪の曝し首になった場所が墓になっていた。
元祖の看板はこの店だけで、この先に数軒の安倍川餅の店があった 

 軽く一礼して向いの、元祖安倍川餅の店に入り、太目の亭主に、指で2本を示すと、怪訝な顔をして、手で、前を見るようなしぐさをしたので前を見ると、餅はイチゴほどの大きさで、数は10個ほど、黄な粉と餡の上に砂糖が乗っていた。道産子は切り餅の安倍川餅しか知らないので、2枚を頼む積りだったのが、亭主は、今時二皿も食べるのかと思った様で大笑い。
 亭主も一緒に小上がりに座り安倍川餅の由来の話を聞くと、
「創業200年になるが、戦中、戦後の時期は休業した。昔は餅の上に黒砂糖や和三盆を使った黄な粉だけだったが、その後白砂糖が出てきたので、黄な粉と餡の上に砂糖を被せたところ、見た目と美味しさで大評判となり、街道筋を往来する旅人は、立ち寄って食べたとのこと、この形は今も同じ手法で作っている」
 亭主と女将さんに送られて店を出ると、同業者の店が数軒並んでいたが、さすが元祖の字は無かった。安倍川橋を渡り旧東海道に当たる208号線を歩く。間もなく右手に国道1号線が並行して見えた。
鞠子宿(広重は蒲原同様雪景色を描いている) 

 やがて茅葺の家が見えてきた。一軒の家が両側の道に挟まれて、土産物屋と茅葺の屋根を見せて名物丸子の「とろろ汁」の店、丁子屋があった。
一番廉い1350円のとろろ汁定食だ、わさび漬も安倍川餅も丁子屋もご先祖様々だ 

 2時20分、茅葺の玄関で靴を脱いで大広間に入る。時間も遅かったので客は5人しか居なかった。欄間には、東海道五十三次の広重の絵が周囲に飾ってあり、如何にも東海道に来た感じがした。昼にトンカツ定食に安倍川餅を食べた後だけに、一番廉い1,350円(自然薯とは言いながら高いものだ)のとろろ汁定食を注文する。
 ここは自然薯(じねんじよ)のとろろ芋を使っている。すり鉢からどんぶりにすくってとろろ汁を食べているところを、仲居さんに写真を撮ってもらう。自然薯を使っているとは言いながら、この値段では儲かって止められない等下手な下種の勘ぐりか、貧乏人の僻みか一人苦笑い。食べ終わると流石満腹状態で立つのも億劫になってきたが、そうも行かないので、重たいリュウックを背に店を出た。
 丸子橋を渡り、丸子川に沿った道を岡部宿目指して歩くが、右足の裏は相変わらず痛む。途中日本での紅茶発祥の地を過ぎ、1号線に合流する。「道の駅宇津の谷峠」で小用し、何となく全長880米のトンネルに入ってしまった。
 旧東海道は右手の道を歩くのを、うっかりしてそのまま歩いてしまったらしい。今更引き返す訳にも行かないので直進する。トンネルの中は幸い追い風で歩きやすかった。トンネルを出て1号線を暫く歩くと旧東海道に出たので一安心した。
 岡部宿の看板が目に入り、間もなく創業170年の旧旅籠柏屋に着く。店の人が中に入っても宜しいと話していたが、時間が無いので外観だけを写して、岡部の町に入ると道路は良く整備されて、町の旧東海道に対する思い入れが伝わってくる。今夜の宿、旅館きくやを探すが中々判らなかったが、ペットショップの裏手にあった。薄暗くなりかけた4時30分旅館きくやに着いた。
 今夜は貸切で部屋も中々手の込んだ造りを見せ、女将さんの心使い伝わってくるようだ。荷物を解いて風呂に向かう。今日も次郎長生家の往復を加えると、昨日に続いて約30粁歩いたので、右足の裏を丹念に揉む。風呂から上がり、一階の食堂に入る。
 食事をしながら女将さんに、「夏蒲団を出して欲しい」と伝えると、「エッ、夏蒲団!」と驚きの声がしたので、
「こちらに来る前は薄い夏蒲団一枚で寝ていたが、真冬でもその下にタオルケットだけで過ごしているが、実は昨日清水の宿でも女将さんが驚いていた」
「北海道では、夜間も暖房が効いていると聞いたので寒さに強いんだネ」
「我が家では冬の夜間暖房は無い。今時は一般的には普通は厚手の蒲団で寝ているはずで、夏蒲団一枚は私くらいな者でしょう」
「幸松さんは普段身体を鍛えているのでしょう」の問いに、
「夏場は下手なゴルフを月4ラウンドから5ラウンドのペースを含めて、月間250粁歩いているのと、冬場は歩くスキーをしているのが健康に役立っているのかな」
と言うと、余程驚いたようだった。
 部屋に戻り、右足の裏に二つ目のマメが出来たので、何時もの様に、針先を焼いた後、マメに穴を開けて水分を徹底的に搾り出しバンを貼ったが、土踏まずの部分は相変わらず歩くと、板が挟まっている感じだ。左足はほぼ完全に治ったようだ。
 昨日書き残した日記と今日の分と合わせてノートに書き込んだが、終ったのは10時半を過ぎていた。その間、日本ハムと台湾の試合の中継を見たが、日本ハムが逆転したところで中継が切れた。
 蒲団に入ると敷き蒲団の上に、敷布代わりに毛布が掛けてあったので、普通の敷布と交換して蒲団に入り直す。今日も痛い足を引きずって歩いたが、明日はどうなることやら。