三河人気質は今もトヨタに受け継がれ、自動車生産世界一となった

14日(12日目) 火 21度 快晴 新居宿 白須賀宿 二川宿(三河国) 吉田宿(豊橋市
                   24,3粁(289,5粁)
                   豊橋BH(5,000円)
浜名湖の観光ポスターに良く出てくる朱の鳥居 

 7時20分、宿を出て浜名湖に掛る国道1号線の橋を渡り、遊覧船の発着場から朱色の大鳥居が青い空を背景に見えたのでカメラに収めた後、そのまま1号線を歩く。道の両側にはボートや釣具店などの店が立ち並んでいた。間もなく通勤で賑わう新居駅を過ぎると、1時間ほどで新居関所に着いた。
新居宿(浜名湖を往来する渡しか)

 関所内の見学は9時からとのこと。疋田本陣跡は現在疋田医院となっていたところを見ると、末裔かもしれない。その角を曲がり、またその先を右に直角に曲がると、旧東海道に入り松並木が目に入ってくる。農家にも疋田の名前があったがこの農家も末裔か。この辺りの東海道は車が少なく歩きやすかった。天気も良いので年寄りが乳母車を引いている姿が目に付いた。
 明治天皇が休憩した場所で、豊橋観光協会に電話で今夜の宿を調べてもらい、豊橋BHを予約する。道の両側の民家では人の出入りが感じられないほどの過疎の町を通り、元白須賀宿跡を過ぎて間もなく角を曲がると潮見坂に差し掛かる。可なり急な坂道だったが登り切った所に沢山の碑が立っていた。
春の海の様に陽が輝いていた

 10時、遠州灘が一望出来る高台に着いた。海面がきらきら太陽の日を浴びて光り輝いて、出来ることならこの陽気と海を北海道に持って行きたいと思った。白須賀中学校前を通り、緩やかな道を下ると、白須賀宿の本陣跡があった。
白須賀宿(潮見坂を下る大名行列か)

 元の宿場は潮見坂の下にあったが、宝永7年(1707)に地震津波で破壊されたので今の場所に移った。道の両側の建物も古い家並が目立つ。
10時40分、1号線に出て間もなく橋を渡ると愛知県(三河国)に入る。途端に車が凄い勢いで突っ走っているのには恐怖すら感じた。さすが所得日本一の愛知県を支える、トヨタ王国の力をまざまざと見せ付けられた。
 辛うじて生き残った右側の細谷一里塚を過ぎて4車線の広い1号線の両側は、一面キャベツが植えられていたが、土にはレンガ色した小さな小石交じりの赤土で、肥料気は見た目には無い感じだったが、延々と続くのには驚いた。
 誰がこれほどのキャベツを食べるのかと感嘆しながら、坦々たる道をただひたすら歩く。その間トラックは大きな騒音を撒き散らしながら名古屋の方向に向かう車が多い。
 間もなく左手に神鋼電機の大きな工場が見えてくる。新幹線のガードをくぐり、筋違橋と言う奇妙な名前の橋と東海道本線の踏切を渡り、12時、二川(ふたがわ)宿に入る。
二川宿(本陣が現存している) 

 現在の二川宿の本陣は馬場家から豊橋市に寄贈され、約200年経過した建物だが、手入れが行き届いて、かっての本陣の有り様や、生活様式が手に取るように判る。
手前が旅籠で、その先に本陣が見える 

 裏に回ると資料館として新しく作られたウロコ壁の見事な建物がある。400円を払って中に入ると当時の参勤交代から武士や町人達の道中旅姿や、殿様クラスが乗った駕籠等が色鮮やかに展示されていた。
 二川駅を過ぎ右手に、1時35分、「うな広」と言う名の食堂に入り、うな丼を食べたが味は上々で値段の割には安かった。
 食堂を出て直ぐのガーデンガーデンの角を曲る道を通ったのが間違いの元で、暫く歩いてから何気なく右の丘を見ると、本来であれば丘の上の岩屋観音を左に見るはずが、右側に見えたので間違ったことに気が付き、スタンドで聞いたところ、距離的には若干損したが、その道を真っ直ぐ進むと旧東海道に出て、殿田橋を渡ると1号線に合流し豊橋市内の方向に出ると聞いて安堵した。
 言われたとおりの道を歩くと旧東海道から1号線に出た。豊橋市内に入ると道の両側には商店街が続き相変わらず車の往来が多かった。
吉田宿(豊川稲荷詣で賑わったことだろう)

豊橋市内は小奇麗な町で本陣跡も直ぐ判った 

 1号線から旧東海道には曲りくねった道を通って吉田宿に入る。本陣跡を写真に撮り、偶々通り掛った松葉公園からビジネスホテルに場所を尋ねると、新豊橋駅を目標にくると直ぐ判るとのこと。
 豊橋駅前通りにはビルが立ち並び、その雑踏に身を委ねながら歩くと、新豊橋駅に着いたので、左に曲がると豊橋BHがあった。
 3時50分、チェックインの後、部屋で荷物を解いて、夕食には時間があるので風呂に湯を入れてから、ゆっくり時間を掛けて右足の痺れと痛みを取るため丹念に揉んだ。この痺れと痛みは中々取れそうもない。原因は何なのか、多分箱根から三島に掛けての石畳で、左足を庇ったために、右足に負担が掛かったのが原因のようだ。
 5時半、ホテルの裏側の繁華街に出て食堂を探すと、味噌カツの暖簾を出した店があったので、味噌カツを食べたいので入る。時間が早いのか客は誰も居なかった。早速味噌カツ定食を注文し、ビールを呑みながらサラダを食べているうち、味噌カツ定食がテーブルに運ばれてきた。
 はじめは豚カツの衣か肉に味噌が入っているとばかり思っていたが、味噌味のタレを付けて食べるのが味噌カツとのこと。味は上々で愛知県の名物の名に恥じない味だった。
ホテルの戻って昨日の残り半分と今日の日記を半分以上書いたところで、眠気を催して