今日は旧東海道の街道を主に歩いたのでペースも速かった

15日(13日目) 水 15度 快晴強風 御油(ごゆ)宿 赤坂宿 藤川宿 岡崎宿
                     27,5粁(317,0粁)
                     BHイトヤ(5,400円)
 軽い朝食を食べた後、7時半ホテルを出る。空は晴れていたが冷え込みがきつかった。歩くペースは順調で、昨夜の味噌カツが効いたのか、または風呂のマッサージが効いたのかは判らないが、足裏の痛みはあまり感じなかった。豊川に架かる豊橋を渡り堤防脇の道に出て間もなく右側には八百屋や魚屋等の市場が並ぶ。
暫く真っ直ぐな道を進むと豊川放水路に架かる高橋の上から右手に赤い鳥居が見えたので、通り掛った人に、豊川稲荷の鳥居か、と尋ねたところ、豊川稲荷はここから5粁ほど先とのこと。緩やかな坂を登り小坂井駅の踏切を渡る。
 右手に1号線を見ながら一直線の旧東海道が並行した道を只ひたすら歩き、1号線と交差したところで、道が判らなくなったので地図を見ていると、中年の男性が、「どちらへ」と聞くので、
御油へ行く旧東海道への道を探しているが、インターネットで引出したこの地図では判り辛い」
と私の地図を見せると、
「この地図で歩いているの?これで良く今まで歩いてきたものだ」
と彼は中部建設協会発行の地図をコピーして持っているので、その地図を頼りに曲がりくねった道を二人で歩き、踏み切りに渡ると1号線に出たが、直ぐ旧東海道に入る。姫街道追分石灯籠を右に見て間もなく橋を渡り、10時、御油宿に入ると、味噌特有の匂いが鼻をくすぐる。
御油宿(男なら意思の硬さが試される飯盛女が誘い込むシーンだ) 

本陣の向いに味噌工場があった。彼は東光寺の写真を撮るというので一緒に寺に入り手を合わせる。彼は境内にあった飯盛女の墓の写真を撮る。この墓の写真を撮るため豊橋から来たとのこと。
手付かずのこの御油の松並木は貴重な存在だ 

 御油の松並木は天然記念物に指定され見事に道の両側に植えられていた。標柱が立っていたのを背景に、彼に写真を撮ってもらった際、住所と名前を聞くと、とんでもないとばかり手を振って、来た道を戻って行った。
赤坂宿(今の過疎の赤坂では想像出来ない) 

1649年創業のこの旅籠にタイミングが合えば泊りたかった 

 10時半過ぎ赤坂宿に入る。ここの大橋屋は江戸時代から続いている旅館で、かっては芭蕉も泊り、明治天皇もここで食事をしている。現在も営業しているので、出来れば泊りたかったが順調に歩いてきたので、残念だが素通りせざるを得ないのでカメラに収めていると、そこへ十数人の中年から老人までの人たちが通り掛り、この付近の観光めぐりの用紙を持って来て、一緒に回りませんかと言われたが、これから岡崎まで行くので時間が無いので丁重に断る。
1号線を右に見ながら緩やかな登り坂を通るが、相変わらずトラックが列を成して走っている。1号線と合流すると間もなく、「峠のドライブインまんぷく」があった。
 11時半、ここはトラック野郎が利用する食堂で、天丼が廉かったので注文すると、チンして持って来てくれたが、天ぷらは崩れ、味は決して美味いとは言えないが、ボリュームは十分で、「まんぷく」の名前の由来は判った。空きっ腹にお茶呑み放題が気に入った。食べている最中、大勢の運転手達が入ってきては食べていた。
食堂を出て直ぐ左への道に入ると、本宿の碑があり冠木門をくぐると、今にも崩れそうな民家が目に飛び込んできたのには驚いた。家の中にも木の枝が伸びて、まさに幽霊小屋といったところだ。本宿間宿を通る車も少なく、人の気配もなかった静寂な宿場を抜ける。
 沢渡交差点でまた1号線に出ると、防音用の塀が3米の高さで建っているのが暫く目に入ってきた。右手の丘の上に名電の車庫が見えてくる。
藤川宿(画では平地の様だが実際は山の中を歩いている感じだった)

 1号線から別れて、1時20分、藤川宿に入る。両側の町並みは宿場の面影を宿し、脇本陣は郷土資料館になっていたが、別に資料館があった。宿場の整備が行われていたが人の気配は感じられなかった。松並木が現れて、踏切手前に吉良街道との分岐点の標札があった。暫く進むと竜泉寺川に出る。
この川はかって源氏蛍発生地との看板が見えたが、今では蛍が出る気配が全く感じられないほど汚れていた。丁度渇水期で川は渡れそうだったが、無理をせず国道の橋を渡る。間もなく岡崎ICの高架をくぐり1号線に出る。
岡崎宿(岡崎城に向かう大名行列が渡る矢矧(やはぎ)橋の袂で、日吉丸、後の豊臣秀吉が出世の糸口を掴んだ)

 3時20分、岡崎宿に入る。岡崎二十七曲りの碑を見ると、敵の襲来から防ぐ目的で曲がりくねった道を態々作ったようだ。伝馬通りを真っ直ぐ進むと、多くの本陣や脇本陣跡が道の両側にあった。参勤交代のあった時代に大名は家康誕生の土地だけに、岡崎城に敬意を表したことだろう。
元岡崎銀行跡は煉瓦の茶と石の白さとのコントラストが見事だ

 道の両側には当時の変遷を伝える多くの標識が並んでいた。煉瓦の赤茶色とコンクリートの白さのコントラストが見事な元岡崎銀行本店跡が市の資料館になっていた。その先の篭田公園から電話でビジネスホテルに電話すると、名電東岡崎駅を目標にすると直ぐ判るとのこと。乙川に架かる橋を渡ると堤防付近の松並木は見事なもので、枝を川に向かって大きく伸ばしていた。手入れが行き届いているのを目の当たりにした。
4時過ぎホテルに着いたので、先ず風呂を沸かしている間、荷物を全部出して明日に備える。風呂に入りながら今日歩いた各宿場の模様を思い起こす。御油、赤坂、藤川宿は旧東海道の余韻が感じられたが、裏を返すとそこには過疎が横たわっていた。
足の痛みは大分治まってきたが、痺れは取れなかったので丹念に揉みほぐす。
 6時、ホテル裏の繁華街に出て居酒屋に入る。鮪のカマがあったので焼いて貰ったが、少し時間が掛かるとのこと、付け出しと板ワサでビールと酒を呑んでいると、厚さ3センチほどのカマが焼き上がってきた。これはアブラが乗って美味かった。最後に茶付けを食べて店を出た。
部屋に戻り、今日の日記を付けたが距離の割には書くことが少なかったので、早めに蒲団に入ったが、明日は名古屋だと思うと中々寝付かれなかった。